リンダの自己紹介年表(目次)
noteを始めるにあたり、
自己紹介書こうと思ったら、
色々書きた過ぎて長いので、
年表にして、その時の記事を書いたらリンクにして、
そのうち目次が出來上がるようにしておこうと思います。
出來上がる前に、他のこと書きたいので、
完成までは時間かかるかと思いますが、
ゆるっとお付き合いおねがいします。
歳がバレますが、歳なんて知られても特に何も問題ないので、年代と歳を両方書いときますわ。
記憶があるところからなので、
始まりが4歳です。
渡辺リンダ 大阪生まれ大阪育ち
何をしてる人ですか?って聞かれても、いろいろやってて答えにくいので、「職業が渡辺リンダです。」とか言うてます。
4歳(1974)
幼稚園にて「人生はじめて『わぁ素敵な人やなぁ✨』と思った話」
6歳(1976) 小一で、もう「理解できないことは出來ない、めんどくさい性格」
7才(1977) 積極的過ぎて、何でもやりたくて、友だちはみんな男子の小学生時代、「ドッチボールではじめての胸キュン💕」
8歳(1978)
やっと女の子と遊ぶ時代到來。「あの時K賀さんと絵を描いたから」
10歳(1980)
母とお裁縫をするのが大好きな少女。「なんでも作るの片鱗が見えはじめる」
からの、泣きながらやったことが大成する話。
このころから、賣ってるお洋服に満足できず、自分で作り始める。
このころの愛讀書は叔父が東京から實家に歸って來て、部屋にいつも置いてあった流行通信と少年マガジン
母が学童保育の先生になったので、夜ご飯が当番制になる。
「しょうがなくでも、子どもの頃に修行した方が身に付くから丁稚奉公とかあったんやろな」
12歳(1982) ジュニアスタイル、レモンが愛讀書。小學校卒業してすぐ入院する。
なんで入院したのか??
「怖すぎると病氣になる話」
13歳(1983)
中學では、キラキラサテンのランニングパンツが履きたくてバスケ部に。
世の中で生きていくには、「根性」ってのがある程度必要としる、、💦
それまで自分はやりたいことだけやってきたと知り、社會の中で上手くやっていくこともおぼえる。
「これでは潰れると悟った13歳」
「ピアノを辞めたいと思った時に」
14歳(1984)
テスト前で部活がなくなると、おばあちゃんの手芸の先生の家に入り浸って編み物をする。
この辺が後のモード系に繋がる。
「中二の恋と、あれから30年」
15歳(1985) 進路を決める時に、母の言うことを聞きすぎたな。
「善玉菌も悪玉菌も日和見菌もいるからおもしろいんやん」
18歳(1988) 「モード学園のCM」
22歳(1992) 「就職率のために就職するのかね?」
23歳(1993)唯一のサラリーマン時代「若氣の至りだらけの日々」
25歳(1995)
「独立願望強すぎな女」
28歳(1998)
「自由な時間と百万円」
「ここでまた、泣きながらやること登場!」
30歳(2000)
「結婚願望強すぎな女」
31歳(2001) 「來たい人はちゃんとワタシのところに來るんやねという話=出産」
34歳(2004) 「だいたいなんでも2年で飽きるのは子育ても一緒やった」
37歳(2007) 「お金じゃないはたらき方の片鱗」
39歳(2009) 「母の癌からの、ローフードとの出逢い」
40歳(2010) 「ほんとにやりやって時は、びっくりするのほどポンポンと、話が進むもんです」
「リンダは本名ですか?」
41歳(2011)
「はじめてのyoutube」
42歳(2012) 「移転」菜食レストランAmigo
43歳(2013) 「南山城村リンダのお家との出逢い」やっぱり、ほんとにやりやって時は、何もかもがポンポン進むのを目の当たりにする。
46歳(2016)毎日着物で暮らす
「運命の出逢い」
47歳(2017)人生にはこんなこともあるんか。「道が落ちる」
48歳(2018)「車救出劇」
49歳(2019)「ネパールへ」
50歳(2020)
「祝言」
からの「カフェ2件プロデュースさせてもらった」
からの
「再び南山城村」
そして
「とうとう大地を再生する」
ずっと、激動の人生を送って來たと思ってたけど、
今年の激動ぶりはなかなかスゴいと、
自分でもビックリ。
文章というのは、たくさん讀むと否が応でもひととなりがわかってしまうものなので、
これ、
全部の太字を書き終えたら、
ワタシ丸裸になってまうわ~🤣
そんなこんなで、
どうぞよろしくお願いいたします。
渡辺リンダ
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