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たたらの遺跡発掘調査はおもしろい。

鳥取県日野町(私の地元)は古くからたたらと呼ばれる日本古来の製鉄が盛んでした。

近代製鉄の行われる大正8年までは、日本の主要な鉄生産地でした。

したがって、道路工事などをするとあちこちで遺跡が出てきます。

ごろごろとカナクソと呼ばれる鉄の滓が出てくるのです。

先日も道路工事現場から遺跡が出たというので見学会が開かれました。

下モノ原遺跡しものはらいせきと命名されているようです。


現場に出かけてみるとすでに多くの人がいます。

段々畑のようになった荒れ地の最下段が綺麗にならされて石が並んでいます。

おお!よくTVで見るような遺跡だ。

こんなところで、鉄は作られ、日本中に流通したのです。

そして、刀や鍋、釜、大工道具、お寺の鐘、鎌や鍬、針、釘などおおよそすべての鉄器が作られていったのです。

土器時代の後は、鉄器時代だと言われています。

こんなちっぽけなところで作られた鉄により日本の経済文化が発展していったと思うと、不思議な気持ちがします(ここだけではないけれど)。

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説明によると、鉄を作る炉は見つかったものの、その地下には20センチほど炭が敷かれているだけのようです。

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室町時代以降の遺跡は、製鉄炉の下に大規模な地下構造が作られています。

地下3メートルくらいを掘り下げ、粘土や木炭を詰め込んで(大舟構造)、湿気が入らないようにして高温を保ったのです。さらに横にも空洞を作り横からの湿気も防いでいます(小舟)。

しかし、今回見つかった遺跡には大規模な地下構造はありません。

驚くほど質素な地下構造です。

そして周囲には石で囲ったふいご(足踏み送風器)の跡があります。

つまり、地下構造は粗末だけれどふいごはある。


岡山県で見つかったカナクロ谷遺跡は地下構造が簡単でふいごもない。6世紀頃(日本最古)の遺跡です。

今回の遺跡はこれより新しいけれど、地下構造のしっかりしている室町よりは古い。

さらに、平安時代の大山赤坂遺跡よりは、炉も大きくしっかり作られています。

したがって、鎌倉くらいだと私は読みました。

きりの良いところで1200年頃のものかな。(遺跡調査に切りの良さを求める素人の発想です)

遺跡調査隊もこの遺跡はかなり珍しい形なので、形から年代を特定できません。慎重を期して、出てきた炭からの科学的年代測定に踏み切るそうです。お金が掛かります。大盤振る舞いです。

この珍しい形は、古いからなのか、お金がなくて簡単な造りなのか、地域の特性からまだ地下構造の技術が伝わっていなかったのか。製作者が怠け者だったのか。

色々考えは浮かぶのですが、素人の想像に難くありません。

さて正解はいつ発表になるのでしょう。

世紀の大発見となるのでしょうか。


きょうTV局が取材に来たので、地元マニアの見解としてそんな話をしておきました。




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