妄想昭和歌謡 ね 「ねえ!気がついてよ」桜田淳子
昭和51年 歌 桜田淳子 作詞 阿久悠 作曲 大野克夫
昭和の小学生だったあの頃、6年生後期になると旺文社の中一時代と学研の中一コースから年間定期購読の勧めのダイレクトメールが盛んに届き出した。年間契約で万年筆(当時は中学の入学祝いとして腕時計と共に少々値のはるものの定番だったのだ。今は信じられないチョイスだろうけど)と、当時のスターについて書かれている手帳をプレゼントされるというのは一緒。
中一時代は山口百恵、中一コースは桜田淳子がお姉さん的存在のイメージキャラクターとして広告の小冊子に登場していた。彼女たちは高校生。歌も知名度も人気も中学入学に思いを馳せる子たちにうってつけだ。
似たような万年筆と似たような内容なので、どっちを取りたいかはほとんど彼女たち二人の人気投票みたいな感じ。
そう、その時は完全に拮抗していたのだ。
あ、花の高校○年生トリオにはもう一人いた。森昌子だ。
同学年であっても森昌子の位置づけは全く違うものだったので、除外して当然だろう。彼女は演歌に太く繋がる線上で、強いて言えば親世代のアイドルであって小学生の憧れからは外れていたからだ。
先輩読者の中学生活紹介とかには大して興味はなかったが、当時の二大アイドルが中一を迎える子に語っている(ことになっている)記事をくまなく何度も読み返した。
結局どっちの雑誌もとらなかったけど、娯楽の少ない私にとっては芸能人が出ている小冊子がうれしかった。
平成10年代生まれの子ども達にはベネッセのこどもちゃれんじや小中高のチャレンジの購読促進冊子が紙ゴミ用袋の3分の1を占めそうなほど届きまくったが、当時のこの手の学習雑誌は小6の後期に限ったキャンペーンだった。チャレンジの勧誘が届くのは高校に入ってからだった時代。
中の桜田淳子の中学生のおしゃれのアドバイスで、
「清潔感が第一ね。石けんの香りの女の子って何より魅力的だと思うわ」
と書かれていたのは記憶に残っている。
というのはそういう年頃だったから、すぐさま実践を心がけたからだ。
これは間違いではなかったのかもしれない。不潔より清潔に少しでも近づく方がいいに決まっている。
昔身売りされてきた女の子は娼館で、まずとにかく何度も風呂に入れて磨くと聞いたことがある。そうすると文字通り垢抜けて美貌の子は更に輝き、そうでなくても白い肌になることで容貌が何割増しかになり商品価値が上がるからだと。それはそうだろう。
私はできる範囲で清潔感を目指し、固形石鹸でゴシゴシからだを洗ったが、全くモテるようにはならなかったが。
もうひとつ、新中学生(もしくは高校生)に向けた学生服のCM。
カンコー学生服のホームページにはちゃんとCMタレントの一覧が載っている。
桜田淳子は昭和49年から52年まで。その前はフォーリーブスで後が香坂みゆきにバトンタッチしたようだ。
富士ヨット学生服(トンボじゃないんだ)の方はどうも一年遅れの昭和50年から山口百恵を起用したらしい。
男子用の詰襟を女性アイドルに着せるという画期的なCMは淳子の方が一足早かったのか。
これがセーラー服を着てるより可愛かった。
で、とにかく私が小学校を卒業する時期と、学生服CMと学習雑誌は淳子と百恵だった。
「ねえ!気がついてよ」の頃の桜田淳子はまぶしかった。
男のワイシャツ着てくるりとまわって
髪の毛かきあげてる私は十八
ってキラキラした瞳と本当に石鹸みたいな香りがしそうな首筋で言われると男女どちらでもでもどの世代でも好ましく思う。
特に夜のヒットスタジオで歌ったこの時の衣装とヘアスタイルは覚えがある。
ああ これだ。
白い襟が清楚で、ハーフアップがキレイな輪郭を際立たせていて、桜田淳子のファンでもなんでもなかったのに
「この人ってこんなにきれいだったっけ?」
と目が離せなくなったのだ。
今思うと、せっかくだから2番の歌詞のまま、メンズの白ワイシャツのボタン2、3個はずした衣装で本当に髪をかきあげて歌えばもっともっとみんなドキドキしたのではないかな。
「天使も夢みる」とか 「私の青い鳥」の中学生の頃の愛らしさと透明感はまさしく中学生のものだ。キラキラの瞳でメルヘンぽい少女らしい憧れを歌う。
そして高校生になると「はじめての出来事」で初々しいファーストキス、「十七の夏」「夏にご用心」で次の段階を示唆するけどあくまで健康的。それに続く「ねえ!気がついてよ」のあなたへのアピール。
階段を上るように、でもあくまでその年齢にあった清潔さで女らしくなっていく。
恋の対象はずっと同い年からっせいぜい3歳年上くらいまでの適切ゾーン。
阿久悠詞の少女開花ワールドはとても彼女の世界に似合っていた。
山口百恵の初期が‘一途蹂躙青い性路線‘で、相手の誠実さにやや疑問があり背徳的なのとは対照的だ。
百恵の持つ重さや厚みとは反対に、透明感と軽さがあった。
そして脚が太いと言われた山口百恵と対照的に紛れもなく美脚だった。
モデルのような完璧さではなく顔の造りの随所に親しみやすい丸みを残したあくまで日本人ぽさがあり、肌、目、脚といったパーツが綺麗だ。秋田弁も惜しみなく披露してくれる愛嬌もあった。
山口百恵が阿木耀子と宇崎竜童コンビの「横須賀ストーリー」で新境地を開いたと言われたのは、この「ねえ!気がついてよ」とその前の曲「夏にご用心」にまたがる昭和51年の夏だ。
拮抗する人気だが、この年まで子ども年齢には桜田淳子の方がちょっと上だったかもしれない。何ら後ろ暗いところなく安心して子どもファンになれる。
この路線で、でも年齢にあった冒険をしながら早めに女優業メインになっていたらどうだったのかな?
秋田の中学では演劇部にいたそうで、スター誕生は歌手発掘だけど、デビューしたらお芝居をしたいと言っていた。
友達がNHK朝ドラ「澪つくし」の再放送を見て、桜田淳子って演技がこんなにうまかったんだ〜ということだと言っていた。デビュー当時の沢口靖子の演技がたどたどしいというのがあったとしても、脇役の桜田淳子がそんなによかったんだ?と聞き返してハッとした。忘れていたけど志村けんとの夫婦コントで見せるあのコメディエンヌぶりは相当の才能だったはず。面白い。めちゃくちゃ面白い。
ミュージカルの舞台「アニーよ銃をとれ」での受賞とか、女優としての才能はすごく高かったのだろう。
統一教会と関わらずにいたら、たとえ新興宗教に入信していたとしてももっと穏当な宗教だったら、これだけ演技の上手い人だから今頃は森光子の後継者的な位置にいたかもしれない。
いつからだろう。歌を歌う彼女にやや上滑りした何かを感じたのは。
実姉の影響で統一教会に入信したといわれるのが19歳の頃、とあるからその前から信仰に近付く何らかの心の動きはあったのかな?
19歳と言えば「しあわせ芝居」や「追いかけてヨコハマ」といった中島みゆきの曲を歌っていた頃だ。
「横須賀ストーリー」後の山口百恵の影響があったように見える、大人の女性の恋の薔薇色じゃない部分を歌う彼女は、詞と彼女の表現というか存在がマッチしきれていない感じがした。
芝居の中の演技はあんなに上手いのに。
歌にはあまり陰影がなく、その透明感が上滑りしていく。
統一教会が陰影の代わりにいつの間にか彼女の背後にいた。
信仰しているものがあって、結婚して3人の子どもに恵まれていることは幸せな人生なのかもしれないが、スターとしてテレビなどで見ていた大半の人はびっくりして頭が❓❓❓で占められ、もう何も考えられなくなってしまった。彼女の幸せは願うけど、懐かしいだけで美化して受け入れられることはないだろうな。
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