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妄想昭和歌謡 は 「裸の花嫁」岸本加世子

昭和52年 歌 岸本加世子 作詞 中里綴 作曲 馬飼野康ニ

他にいくらでも「は」のつく曲はあるのに、一度だけ聞いたこの歌の衝撃のすさまじさをずっと覚えている。

これを歌と言っていいのかはよくわからない。
昭和のある日、リビングで宿題をしていたらTVから聞こえてきて思わず誰が歌っているのかマジマジと見てしまった。歌っているというか、セリフを言っているというか、モノローグというか。
どう反応していいかわからないまま頭を離れなかった。だから45年もたっても思い出しているのだ。
当時も何か聞いたことのある曲だと思ったが、シューベルトのセレナーデだと気づく。
どうしてもそう聞こえる、どう考えてもそう思えるが、作曲編曲は馬飼野康二となっている。 
え?
編曲はわかるけど作曲はシューベルトでは?
因みに有名なクラシックの歌謡曲化の ザ ピーナッツ「情熱の花」も、ヴィーナスの「キッスは目にしても作曲は ベートーヴェンとなっている。「エリーゼのために」だ。

もう何だかわからないけどいいや。ほとんどセリフだし。


岸本加世子と言えば、可愛がられるだ。
ネットを見ただけでも、美空ひばり、樹木希林、北野武、と錚々たる人々が出てくる。
美空ひばりに引き合わせたのは太地喜和子と奈良岡朋子とあるから、そっちだってすごい大物揃いだ。
年上の、大御所に可愛がられるのだ。

同世代の柳葉敏郎とは○歳までお互い結婚してなかったら結婚しようと言い合っていたはずだ。この「何歳になってもお互い相手がいなかったら結婚」、というフレーズは周囲でも何回か聞いたことがある。そして大抵実際には結婚していない。そしてそういう二人はまずこれからも結婚しない。たとえ二人ともずっと独身でも。
柳葉が結婚した後は親戚同然の関係だそう。
実際を外部が知ることはできないが、本当にそう見えてしまう二人なのがある意味すごい。完璧に友情に見える。
もし結婚した相手に親友と言える異性がいて、何かというと相談したり一目置いたりしあっていたら、大抵嫉妬や勘ぐりで揉めそうだが、きっとそうはならなさそう。奥さんも子どもも含めて親戚同然か?
春風亭小朝とは親戚同然で続いていなさそうなところに真実味もある。

辰吉丈一郎とは姉弟のような仲とあった。こちらは可愛がる方なのだろう。
守備範囲は結構幅広いけどやっぱりなかなか世代もジャンルも違う有名人との家族のようなつきあいができるのはすごい。
と言うか、ちょっと感じが良くて気さくでキッパリしていて誰にでも好感を持たれそう。異性を惹きつけて止まない魔性の女でも男ったらしでもない。人たらしなのか?何かそれとも微妙に違う気がする。親戚同然、というところがキーワードだ。自分からすり寄っているというイメージなしに、大御所の内輪になってしまうのだろう。

岸本加世子と言えばあっけらかんだ。
まああっけらかんとしているからこそ可愛がられて可愛がれるのだろう。下心感じずに、つきあえそうだ。
映画なのかグラビアなのかいつなのか何の番組かはわからないけど、彼女がヌードになった事を自分で話していたのを聞いた記憶がある。
「え?私の裸ダメですか?きれいじゃないんですか?頑張ったんだけどなー」みたいな感じで対談相手に詰め寄っていた。相手(誰か忘れたけど男)は「いや、そういうわけではないけど」としどろもどろだったと思う。
きれいだとか魅力がないとかではなくても、あっけらかんというイメージのそういう対象ではない人の裸〜それも二人きりで自分に向けられたのならともかく、雑誌や映画で見てしまうと気まずさが先にきてしまうだろう。
彼女は一般的には、そういう対象をどこかかいくぐっていたのだろう。

岸本加世子と言えば太眉でエチケットライオンでフジカラーだ。
嫌味なくCMをこなす。
昭和50年代、岸本加世子はどこからどう見ても可愛かった。しかし他の女性アイドルに対するその頃の「〇〇ちゃんはトイレに行かない」みたいな男性ファンの幻想みたいなものは背負っていないように見えた。これはアイドル歌手ではなく女優だから?
イメージを切り取られやすい歌手ではなく、コメディでもあるドラマ「ムー」(昭和52年)で人気になったのもあるかもしれないが、醸す雰囲気もありそうだ。
平成なら生理用品のCMに起用されそうなタイプ。
と思ったら令和に尿もれ用パンツ アテントのCMに出ていた。介護する側としてではなく、ちょっとした尿もれに初めて履いてみるというシチュエーションで。
生理用品にしても尿もれパッドにしても、あんまり生々しいのはダメだろうし、想像をかきたてられ過ぎるのも困る。この人生理重そうだとか、いかにももれて困ってそうとか。かといってそういう現象など全くないふうに見えても購買に結びつかない。異性の好感度は別に不要だけど同性の適度な共感や好印象が必要なのだろうと思う。
それには彼女はやっぱり適している。


しかしこんなイメージだというのに、「裸の花嫁」という歌はえらく昭和的にねっとりした駆け落ちを歌った曲(セリフの内容)だ。
そこだけ歌と言える

 こっころが あなたに ついてゆーくから
 体もついてゆくーのでっすー

 こっころが あなたに 感じてーるから
 体も感じているーのでっすー

 こっころーが あなたを 求めてーるから
 体も求めているーのでっすー

のフレーズが頭をこだまして、宿題など手につかなくなった。


聞いたことはなかったが、彼女は4枚のシングルを出しているようだ。
昭和52年の「北風よ」はデビュー曲でこれは普通に昭和のアイドル歌謡っぽく、幼い声で多少舌足らずで可愛らしく16歳の初々しい恋を歌っている。
その4ヶ月後に「裸の花嫁」で 体も求めているのでっす〜 なので、若い恋は突っ走りやすいようだ。

そしてその一年半後の昭和55年に出た次のシングル曲を今聞いてもっともっと衝撃だった。
曲名からして「あゝ落ちる」
A面が「あゝ落ちるPartⅠ」でB面が「あゝ落ちるPartⅡ」という念の入れよう。

聞いて腰が抜けそうになる。
にっかつロマンポルノか? (見たことないけど)
渡辺淳一の小説か?  (読んだことないけど)
エロ漫画か?  (知らんけど)
吉原炎上?  (わからんけど)

ジャケット写真からもロマンポルノ感が


「裸の花嫁」ではまだ3割くらいサビの部分で歌っていたけど、これはもう歌ではない。曲に乗せて喘いでるような、鶴光のオールナイトニッポンみたいな感じなのだ。
コーラスだけが歌といえば歌だけれど、

 赤い火 燃えろ 燃えろえろ

とエロエロとリフレインされるとあまりのことに一瞬ポカンとした後、周囲を伺ってそそくさと音量を落とした。音漏れしただけでやばそう。

「真夜中のヒーロー」というドラマの主題歌だったらしいが。

あんなにあっけらかんなのに、歌だけはどうしてこんな昭和ピンク感満載だったのだろうか?

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