妄想昭和歌謡 み 「みかん色の恋」ずうとるび
昭和49年 歌 ずうとるび 作詞 岡田冨美子 作曲 佐瀬寿一
笑点の座布団運びは山田隆夫の天職のようだ。
ずうとるびの前は、テレビで時々見る、子どもタレントの一人みたいな感じだったと思うが、役者というよりちょっと片隅に出ている子どもという位置だった記憶はある。
ケンちゃんこと宮脇康之とか、杉田かおるとか、皆川おさむ(彼は歌手で厳密には子役ではなく歌手だが)のような有名どころではないが、子どもが多い時代とりあえず年少者を入れておく時には重宝したのか?
しかし今プロフィールを見ると、10歳の時出たのど自慢が芸能界入りのきっかけとある。ということは、テレビで見た時は既に中学生にはなっていた?背が低く、中高年になってもまだ、声変わりもしてなさそうなので、当時は子どもと言われ素直に信じていた。
笑点のちびっ子大喜利は、正月などの特番などで時々放映されていたのを見た記憶はある。自分より年上のメンバー達は、とてもちびっ子とは思えなかったが。
なんかそこらへんの記憶はないのだが、山田隆夫が座布団10枚獲得したボーナスとしてずうとるびは結成されたらしい。
気づいたら小学校の仲の良かった女子と4人で、クラスでずうとるびを名乗る事になっていた。
多分一番初めは、アポンという女の子のペンケースに「今村良樹」のシールが貼られていた事だと思う。アポンは今村くんが好きだという。それを見たネロという女の子が、
「じゃあ、アポンは今村くんね。私は江藤くんになる」
と言う。
推しを推すのではなく、推しそのものを名乗ったのだ。
一緒にいた私は背が高いということから
「アケケは新井ね」
と決められた。特に今村と江藤が好きだった訳ではないが、何となくその二人の方がやっぱりいい気もしたが、山田役でないだけマシだと受ける事にした。
そうなると残りは山田隆夫しかいない。他にも同じくらい仲のいい友達はいたが、やっぱり背が小さくて誰の役回りであっても引き受けてくれそうな、ブルという子が指名された。ブルは、
「え?私山田隆夫なの?」
とかなり心外そうではあったが、彼女も好きな今村くん役のアポンとジャンケンしてあっさり負けた。その頃彼女が履いていた長靴(昭和の雪国の小学生は、冬といえば長靴が基本だった)がオレンジ色で、だからブルは‘みかん色の恋‘のずうとるびに入るべきで、入るからには空きは山田隆夫しかない、と説得されていた。
そうなのだ。どう考えても小学生にとっても山田隆夫役は罰に近かったのだ。
座布団運びの山田隆夫が「昔は人気アイドルで、バレンタインのチョコなんて山のように贈られた」話をしているが、彼の受け止めと実際の人気にはかなりの差があるに違いない。ファンは、‘ずうとるび‘のファンであり、江藤くん、今村くん、新井くんの順番でファンはいても、山田くんに関しては男性アイドルとして好きな人などいなかったに違いないから。
レコードジャケットを見ても、一介の子どもとしてなら普遍的な意味でかわいいと言われるかもしれないが(小さいから)、芸能人、アイドルとして女性にキャーキャー言われる要素はほぼない。
もし人気1位になれるとすれば、幼稚園児に聞く「この中でだったらどのお兄さんに一緒に遊んでほしいか?」とか、お年寄りに聞く「お駄賃にアメをあげたいのは誰ですか?」くらいだと思う。
だから今「山田くんが昭和ではアイドルだったの?」と不思議に思う人は安心してほしい。ずうとるびのファンと言っても、彼に熱を上げる女性は皆無だったから。
しかし、改めて調べるとずうとるびはまさに山田隆夫の功績で成り立っていたらしい。
座布団10枚取ったのは彼だし、その希望でボーナスとしてレコードデビューとなった。元々音楽が好きで作詞作曲も楽器もできたのはメンバーで彼だけだ。
そして脱退まではもちろんリーダーだ。
曲の中でも彼がかなり作詞作曲を手がけている。特にB面の曲は半分は作詞作曲しているし、結婚のため脱退前の曲はA面も彼が手がけた曲‘明日の花嫁さん‘だし。
確かにアイドルとしての人気の対象にはなっていないが、主導的位置のメンバーだったとは知らなかった。
さて、ずうとるびを名乗って特に歌ったとか何かした記憶はないが、なったからには少々面白い受け答えをする使命感は持った気がする。
こんなことを言うと何だが、ずうとるびがトップアイドルとは言えないまでもそれなりの人気だったのは、その時代男性のグループアイドルが超品薄だったからではないか。
その頃男性グループと言えば、フォークグループが中心で、アイドルで有名どころはフォーリーブスくらい。
レイジーもシブがき隊もまだ先だ。
グループサウンズが人気だった頃があるが、昭和49年は失神していたファンの若い女性はブームから何年も経ってほとんどが妻とか母になっている年齢だったと思う。
その下の若い女性のアイドルの主流は、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎 の新御三家など、単体が主だった。
女性アイドルもそうだけど、単体が基本だったのだ。
その後から現在に続くアイドルのグループ化は、複数の中から自分の推しを選びたい、という望みを叶える方向へ向かって成功している。みんなよりどりみどり感のあるグループが好きだ。
芸人を抱える事務所といえばまず吉本興業みたいに、男性アイドルグループと言えばジャニーズだ。
当時ずうとるびはその品薄状態にマッチできたのかもしれない。
ずうとるびの面々はジャニーズのような美少年路線でなくとも、少なくとも若い。需要はあったのに他にいないから人気がでたのかもしれない。
加えてずうとるびにとって良かったのは、バラエティタレントとして使う道があったからだろう。
カッコ良すぎないと、若さゆえのかわいさがなくなっても、とくに若作りせずとも、何とかなる。
出身は笑点のコーナーだし。
江藤くんは「三波伸介の凸凹大学校」とか「お笑いマンガ道場」などのお茶の間での全然とがっていない安心できる笑いに最適だった。金八先生に出ていた加藤君が苦労知らずの境遇だったらこんな感じ?という見た目に変化。
今村くんは、アメリカ留学の後、放送作家としてテレビの裏で活躍してたなんて、知らなかった。ついでに息子がジャニーズだったなんて知らなかった。
私が割り振られた新井くんは、完全に俳優として「大好き五つ子」をはじめ脇役としてコンスタントに活躍している。一番シブい感じになっている。
笑点の中で「子沢山」といじられるように次の世代を残し、不動産で十分稼いでいる山田くんは、子どもから今現在まで長寿番組笑点に関わり続けて高齢者の入口だ。
すみません。再結成の写真を見たら全く知らない人も写っていた。
山田くんが抜けたのもその後に入ったメンバーなのも知らなかった。
2020年に再結成した写真を見ると、他の正統派アイドル達が辿りがちな悲惨さがほぼない。お腹が出たり髪が薄くなったり、どこから見ても普通の60代の姿を見せても、特にガッカリもしない。誰かのお父さん、と紹介されてにこやかに挨拶できそう。たとえ芸能界の仕事がなく副業で生きていたとしても、小さなホールで歌っても、楽しそうでそれはそれで良かったというイメージがある。
ずっと格上のアイドルだったフォーリーブスのメンバーは、今のずうとるびメンバーの年頃には四人のうち二人が既に故人となっているし、覚醒剤、暴露本、途中でやめたみたいだけどAV出演とか、いったん薄くなった髪が復活してるとか、業を背負ってしまった印象が拭えない。
カッコよかっただけに老いによる劣化は人生の足を引っ張り、普通に歳をとるのが難しいのか。
ジャニーズだったのも大きいのかな。
北公次さんがジャニー喜多川氏の未成年への性虐待について暴露しても、権威におもねるマスコミは彼の方をこき下ろした印象がある。
バック転もこなす美少年アイドル達は年齢と共に荊の道を歩き、「僕逆立ちができな〜い」と歌った抑圧少なそうなフツメン達の方がどう見てもどこかでそれなりに楽しく生きてそうなイメージのまま還暦過ぎた。
と、思い出して検索していたら、今年のGW Youtube東映のシアターオンラインで「ずうとるび 前進!前進!大前進!」という短編記録映画が見れてしまったのだ。見てしまったのだ。
インタビュアーに『誰のファン?」と聞かれて軒並み山田隆夫以外のメンバーを答える若い女性達。(みんな好きを除く)
やっぱり。当たった。
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