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アサンチョークの人々 美しい出窓の下部【専業旅婦飯6〜28年ぶりのネパール3日目上】

Kathmandu

昨日に続き、二度目の朝である今日も、早朝連れ合いと一緒に路上朝市が繰り広げられるアサンチョークに向けてまず散歩をする。

チャイハネだったかな?エスニック雑貨屋さんの壁に、ただここらあたりの人混みを写した映像が流れていたことがある。気づくと足を止めずっと眺めていた連れ合いと私。
「これ、あの辺りじゃないかな?」
「うーんと、アサンチョーク❗️」
なぜただ街の映像なのにずっと見ていられるのかな? と不思議ではあった。
それは若い頃その流れに身を置いていた時の、陶酔感がフラッシュバックしたみたいだ。
本当は二人とも人混みが相当苦手なのだ。都心部に通勤している連れ合いは、昔から休日は絶対上り方面には行かない。子連れでどこかに遊びに行くにも休みの日は反対の郊外へ。そっちはそっちで結果混んでいたりしても。観光地にしてもできるだけピークは外す。行列に並ぶくらいなら立ち去る。
そうやってきたくせに、人混みの映像を見て懐かしいのは、一体どういう感情なんだろう。

音と匂いにあふれて混んでいて、それでもそこに身を委ねたくてたまらなくなる場所が三つあった。

それはこのアサンチョーク
カルカッタ(コルカタ)のシアルダー駅に向かうあたり
そして一番はチベット、ラサのバルコル(八角街)だ。

多分他の二つは変わっただろう。とりわけラサのバルコルはその形状も、色々な事が取り締まられるようになった結果人々も。
「あの」バルコル周辺が自分にとってはやたら深く刻まれ過ぎて、その変化を見たら切なくなるかもしれない。

でもカトマンドゥのアサンチョークは大きく変わることなく人々の暮らしが営まれ続けているようだ。
28年前にカトマンドゥにいた時は基本自炊が多かったので、その当時マッシュルームしか売られていなかったキノコの露店のあたりでは(驚くことに昔と同じところに数人のキノコ売りの人がいた)他にヒラタケと巨大なエリンギが売られるようになったとか、野菜が前より大玉になったとか、枝豆と乾燥大豆の間くらいの状態の鞘入り大豆が多く売られるようになったなどの変化もわかる。

豆腐屋さんも昔からここらへん
キャベツやカリフラワーの玉も大きめ


でも同じ人が歩いているはずもないのに、サリー姿の女性が減ってパンジャビドレス風か洋服がほとんどになっているのに、何だか驚くほど変わっていなかった。
体がぶつかるほど混み合っている老若男女のおしゃべりも(女性多め)、時たま乱入する人との距離15センチのところをクラクションと共に超低速ですり抜けるバイクも、犬も、地面に売り物を広げる人達の呼び声も、ずっとこうだったような気がしてくる。
後に同じカトマンドゥでも他の所はビルが建ったり随分変わっていることを知るが。
このあたりも2015年の地震で崩れた建物も多かったはずだが?

ホテルに帰っての朝食は、またネパリブレックファーストで料理人を呼ぶのにも気が引けたのでシンプルブレックファースト。

シンプルと言っても量は日本のプレートの1.5倍くらいの量

朝食をとっている中庭には仏像があって、毎朝マリーゴールドが新しく供えられる。これはホテルだからというのもあるが、仏教徒の大きい家だと庭にあったりもする。

そして上を見上げると泊まっている部屋の出窓がちょうど見えるのだ。見出し画像がそれ。
そして改めて気づく。
この出窓の内側が部屋のこれなんだな、と。

出窓の下部がベンチになっていて
座面にマットが敷かれている
マットの下は木の板が渡してある
外のレンガの壁も出ているのでもしかして板の下はそのまま外かも

このレンガ造りに精巧な装飾の木の窓枠は、ネワリ建築の特徴のようだ。旧市街にはこういう美しい窓や支えの家や寺院が随所にある。地震で倒壊した建物も多いだろうが、新しく建て替えられていてもその技術が残っていて施されている事に安堵する。

こういう窓から顔を出すのは
現世ではなく遥か昔の人ではないかと思ってしまう

朝食を待ちながらこんな窓やきちんと信仰される仏像が見えるのはうれしい。

少し休んだら、今日はバスで Boudhanath へ行く。
Boudhanath はアルファベットのように読むのではなく、日本語で ボーダナート と書いたとおりに読んだのに近い。
インドやネパールの英語は th をタ行みたいに発音する。Thank you.もかなりタンキューに聞こえる。Kathmanndu の王宮から続く大通り Kanti Path も カンティパスではなくはっきりとカンティパトと言われるし、そもそも Kathmanndu からしてカートマンドゥ みたいに発音し、決して カスマンドゥ ではない。それを言えば カトマンズ って言うのも違うけど。
初めてネパールに来た時、どこかで隣り合わせたイギリス人に
「タメルはうるさいし、ホテル代も割高じゃないか?私は ブッナス に泊まっていてすごくいい」
と言われ、何度も
「えっ?それはどこ?パタンとかじゃなくて?」と聞き返した挙句、
「ガイドブックにも載ってる有名なとこだよ!知らないの?」と呆れられた事がある。
部屋に戻ってからブッナスはボーダナートのことを指していたとやっと気づいた。


数日のネパールの旅行でも見どころとして訪れる人が多い所だが、私はのべ5ヶ月くらいいるのに一度も訪れた事がなかった。
ボーダナートは1950年代の中国支配を逃れて来たチベット人が多く住み始め、昨日のスワヤンブナートのような大きなストゥーパがある所だ。ストゥーパは他にも各所にあるが、飛び抜けて大きいと言うか裾野が広い。
今までのほとんどが、チベット本土から国境を抜けてネパールに来たので、カトマンドゥではわざわざ行かなかったのだった。本場から来たばかりだし。
そして連れ合いと旅行していた時は、「ボーダナートはゼネストしてて荒れてて水も電気もなかったから絶対行きたくない」と頑なで「その頃はボーダナートに限らずストや停電してたのでは?」と言っても聞き入れない。
しかし今回は一緒に行くことになった。
着いてすぐ「こんないいところだっけ?」と言っていて呆れる。
空港にも近いし、私は最終の何日かここに泊まろうっと。

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