推しって

推しの文化が根付いた時代の反動というか心の底の方にある感情に目を向けてみたので共有してみたいと思います。

さて、

【推し】っていますか?

この文化もだいぶ浸透してきたみたいでぼくの会社の新人が作成する自己紹介みたいなものにも推しを書く欄が設けられていました。

さらに、
先日、後輩が「〇〇と飲みに行きたいです。ぼくの推しなんで」とかなんとか言っていたんです。

「それって好きとは違うの?」と話しても否定されるんです。どうやら恋愛めいた感情とは違うみたいです。

推しを紐解く鍵は好意というよりはどちらかというと応援に近い文化みたいです。

ググってみるとざっくり応援したいということみたいです。

代表的なのがやっぱりアイドルとして売れるまでのドキュメンタリー。

ここまで整理して、
ふと気づいた推しの文化はどこから来たかって話しですが、
SNS(とくにInstagram)が普及し、世界のかっこいいやカワイイが溢れかえってしまい、自分というものの限界が露呈してしまったことが原因だと思います。

私は無理だけど、
画面越しに頑張るあの子に夢をみているわけですね。

眩しすぎるあまりいつの間にか応援する側になってしまったって話し。

推しという文化をこれっぽっちも否定するつもりはありませんが、
目が眩むほど眩しいのは自分がどこかの暗闇から見ているからなんじゃないかと。

勝手に暗いところから見ているから眩しいのであって別の明るい場所から見ればそれほど眩しくはないと思うんです。

InstagramやTikTokなどの普及にともなって特に若い女性が病んでしまったり、先の長い人生を閉じてしまったりしているようです。

推しとは少しニュアンスが違うかもしれませんが、もっと自分の良い部分に目を向けてあげるともっと優しい世界になるのかなと思っています。

ということで、今日は娘がSNSネイティブな時代の新しい文化の中を歩くことになるので父ちゃんは少しでも道を照らして脇道に落ちないように勉強してみようと思います。というお話しでした。

それでは、お疲れ様でした。



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