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青と水色の氾濫〜中二病以前の感覚を取り戻す〜


こんにちは。ツチダサトシです。

デザイナーで、大学講師で、大学院生で、古本屋です。
この4月から通信制の大学院(京都芸術大学)に通っています。

スクーリングが完全ゼロ・ALLリモートで、最短2年での修士取得(MFA)が可能ということで、注目もされている領域です。
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/640

2本目の今回は、大学院での学び(まだ3ヶ月ですが)で得た「感覚について」記しつつ、自己紹介のつづきのような感じです。

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●水色(という内面)に出会い直す

私が苦手とする「内面に向き合い、掘り下げていく」というタイプの演習のひとつを進めていくなかで、「もともと水色〜青色を好んでいた」という感覚をハッキリと思い出し、取り戻しました。

イキナリですが、そうなのです。

そこに至る演習の具体的な中身には触れられないのですが、2ヶ月ほどで普段「見えている風景」から得られる色の感覚がはっきりと変容し、「水色〜青」に目がいくようになるという驚きの変化です(宗教性はないです)。

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20数年前の美大時代は写真表現を専攻していたのですが、その時でさえ、得られなかった「素」の感覚です。外出して、写真を撮るのが"たのしい"。

では、いつ頃の感覚なのかというと、中学2年です。


●中二病以前の感覚を取り戻す

1991年、中学2年の初夏のある日、実家2階の自分の部屋で、ツチダ少年は深い安堵感に包まれていました。

シンプルな黒いパイプベッドに敷かれた布団カバーは水色で、姉と一緒に選んだ混麻のジャケットも水色、細身のブルージーンズ、紺色のポロシャツ、大好きなガンダムのプラモデル「RX-78NT1」のキーカラーも青でした。それからポカリスエットの新作「ステビア」の青緑色も好きだった。

心から気持ちが良かったのは、部屋と通り抜ける風と、すっきりと配置された机・椅子・ガラステーブルとが調和している。そういった小さな世界が確実にあった。

夏から秋のある日、家族で出かけた西武デパートで決定的なプロダクト「水色のよく描けるシャープペン」と出会います。500円以上もするシャープペンでしたが「よく書けそうで、手になじみ、重さ(デザイン)も丁度いい」と直感的に感じて、小遣いで購入しました。

無意識過剰のなかで、はじめて購入した「デザイン」だったのだと思います。そのシャープペンを使うことで、(どういうわけか)劇的に文字が美しく描けるようになり、(どうしたことか)学力までもが向上しました。


●中二病ってなんだ?
上記のように想起された「記憶」は現在において常に捏造されている危険もあります。

ただ、この時期は「中二病」を発生する前、だということがポイントです。

中二病・厨二病は(第一発見者は伊集院光さんといわれる)下記のような定義とされます。

中学校2年生ぐらいの子供にありがちな言動や態度を表す俗語。自分をよくみせるための背伸びや、自己顕示欲と劣等感を交錯させたひねくれた物言いなどが典型で、思春期特有の不安定な精神状態による言動と考えられる。医学的な治療を必要とするような病気や精神障害ではない。

「中二病(読み)チュウニビョウ」https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85-689483

思春期・第二次性徴期を迎え、声変わり・急激な身体的成長に伴い、不安になった内面が暴走し、「他者と違った振る舞い・差別化を求めてしまう」というようなモノであり時季ですが、私の場合は、それは高校時代に訪れました。

発症以後の自らの振る舞いは、未だに顔から火が出るほど恥ずかしく、生々しくもあり、「自意識が過剰」なことから記憶も豊富です。。

中学二年の夏は、まだ「中二病以前」で「無意識が過剰」でした
そして、それは「自意識過剰の嵐」の予兆を含む、「ひとときの調和」でもあります。


●気持ちよさ・心地よさを振り返る
中2初夏の時点で、私は、声変わりもなく(音楽会では、女子パートで歌っていた)、低身長かつ低成長だったのです。

まったく自意識が暴走・主張していないものですから、洋服などは「母親が選んだもの」を「気持ちよく」着ていました。買い物は家族一緒に、「ジャスコ」へと出かけます。年頃なので「家族と一緒にジャスコに居るところなんて同級生に見られたら恥ずかしくってしょうがない」ハズなのですが、私にはそれもなかった。

80年代後半から90年代初期にかけて、バブル期の日本では、洋服の生地・仕立てなどは子供既製服とはいえ、「上等・上質」なものが多かったのかもしれません。着心地がよくて、持ちも良い。そんな製品が多かったことは、2020年の時点では検証しづらいため、あくまでも印象ですが。

他にも、周りを気にせず聴いていた音楽のことや、趣味など諸々の想起があり、考察しているのですが、ひとまず「まとめ」ます。


●まとめと、疑い
大学院での演習を通じて、かつての「水色大好き感覚」を取り戻した私ですが、先日、あることに気がつきます。

「ソーシャルディスタンス」や「コロナ対策」を促す広報物・プロダクト製品(ハンドジェルなど)には圧倒的に「水色・青系」が多い。

清潔感や清浄、落ち着きなどを象徴するカラーとして採用されているのでしょう、「水色」が気がつくと身の周りにあふれていたのです。

3月から4月、5月にかけて市中を多い尽くした「青」は、緊急事態宣言下を経て、この夏、もはや意識されない存在になっているかもしれません。

「卵が先か、ニワトリが先が」の謂のように、「青・水色の氾濫」がコロナ過とともに訪れたがゆえに、大学院の演習で内面を掘り下げすぎて(久々に)不安定な自意識を抱えた私が「調和を求めて」、先述したようなストーリーを強引に捏造しているという疑惑です。

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中二病以前の無意識過剰な感覚とは「半ば神話のようなもの」で、モヤモヤとハッキリしない領域です。

それらを直感と想起、さらに理論を加えて明らかにし、再構築していくことが自らの「デザイン=オリジナルな学び」としての、実践のただ中にある、ということを、ひとまず報告します。

「安全な場所からの学び」ではない、ことが何よりも愉しい日々です。


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