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徒然草〜水族館くらいの距離感〜

突然だが私は水族館が好きだ。好きと言う割に滅多に行かないし魚が詳しいわけでもないし水族館の何が好きなのかはよく分からないけど、水族館で泳いでる魚たちを見ると癒される。

水族館は好きだがシュノーケリングは苦手だ。何故かというと魚が怖いからだ。魚が怖いのに水族館は好きなの?と聞かれることもあるがあの水槽のアクリル板1枚あることによる安心感は半端ない。正しくは魚が怖いのではなく魚と「接触」するのが怖いのだ。

ただ見ているだけで良い。海の生き物も可愛いな〜と思って見ているくらいが丁度いい。犬や猫も人の子を動画で見ているだけでいい。接触は怖い。

婚活を始めて気付いたのは異性関係も水族館の魚くらいの距離感が1番楽だということだ。どういうことか?というと「眺めているくらいがちょうどいい」ということだ。「接触」となると急に恐怖が勝つ。

婚活を始めて色んな男性に会ってきた。ヤバイのからちゃんとした人まで会ってきたけど、私の大きな基準のひとつに「この人と性的接触ができるのか?」というものがある。今までは私は面食いだからイケメンなら誰でも良いと思っていたけど、どうやらそうでもないことに気づいた。どれだけイケメンでも好みの顔の相手でも「女」として見られた途端ちょっと気持ち悪くなってしまうのだ。

男の人が苦手かというとそれはまた別の話で、男性と喋るとかは全然大丈夫だし、男友達もそれなりにいたし、男の子と2人で遊びにも出かけられる。しかしそれは自分と「接触」する可能性がほぼ皆無だと思っているから安心して喋ったり遊んだりできているんだと思う。

別に私が男性を好きになったことがないわけではない。ただめちゃくちゃ時間がかかるし慎重なのだ。過去の傾向から私が好きになるのはほぼ「仲の良い男友達」

結局最初は異性として見てなかった人と徐々に仲良くなって、この人と一緒にいたら楽しいだろうな〜。好きかもな〜。ってなるのだ。

だからいきなり「この人と恋愛・結婚できるかな」と見極めるいわゆる「婚活」は順番が逆なので向いていないのかもしれない。

婚活を始めて気付いたのは「一枚バリアがある」くらいがちょうどいい。と。水族館の魚と人間みたいにアクリル板があって見ているくらいがちょうどいいのだ。シュノーケリングみたいに本能のまま泳いでくる動きが読めない魚と触れ合うことはしなくていいのだ。

だから「推し活」に力が入ってしまっていたのだと思う。だってアイドルとファンは基本交わらないから。永遠にアクリル板越しの関係だから。アイドルは私を認識しないから相手のことを考えずに安心して応援できる。

「お付き合い」「結婚」ってなるとどうしても性的接触がもれなくついてくる。極端な話、性的接触なんかしなくても一緒にいて楽しい・落ち着くと思える相手と結婚したい。でも性的接触があるのであれば好きな顔とじゃなきゃ嫌だと思っている。「自分を性的に見る男が怖い」ってなってる私は正直恋愛も結婚も向いていないのかもしれない。でも「自分を性的に見る男」全員が怖いわけでもないことに最近は気付いた(これは個人的に大きな進歩だった)
拗らせているのは重々承知。
こんな状態で結婚したいと言うのは高望みだと言われるのであれば仕方ない。一生高望みしてやるよ。とも思っている。

結局はちょっとずつリハビリして自分が変わるしかないんだろうな。と漠然と思っている。

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