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徒然草〜人生とは〜

先日またひとつ歳をとりました。どれだけ嫌だと思っていても歳はとります。嫌ですね。誕生日が年々しんどい。なんで歳を取るのが嫌なのか…それは人生を楽しんでいないからでしょう。

独身彼氏なし、仕事もバリバリやってない。人生をかけて楽しめる趣味も今やない。というなんのセールスポイントもない女です。毎日惰性で生きています。

そうなるといわゆる「人並みの幸せ」というものが急に眩しくなり、羨ましくなりました。

結婚と出産だけが女の幸せとは限らないと思いますが、ここでは「人並みの幸せ」=結婚・出産 と定義します

私はいわゆる「薄給激務」な仕事をしています。労働基準法なんかガン無視の生活でひどい時は1ヶ月1日も休みがなく、時給にしたら数百円くらいの給料と勤務時間でした。一時期周囲から「死亡説」が流れるくらい誰とも交流していない生活をしていました。

そんな劣悪環境でも耐えられたのは私には「業界で有名な憧れの人と一緒に仕事をする」という夢があったからです。でも残念なことにその夢は叶いませんでした。なぜなら、憧れの人が業界を去ってしまったからです。

「夢」を追いかけていた頃は業界で活躍して憧れの人と1日でも早く仕事をするんだという気持ちが大きく、「恋愛」や「結婚」は二の次でした。

しかし、いわゆるアラサーにさしかかり、周りが結婚や出産をし始め、時を同じくして自分の夢を見失い、私は急に「人並みの幸せ」というものを手に入れたくなったのです。

そんな「人並みの幸せ」を求めてアプリを中心に色んな男性たちと会ってきました。でも会えば会うほど「幸せ」というものがわからなくなってきました。

「人並みの幸せ」=「自分の幸せ」だと思っていて、婚活を進めてきたけど「結婚するのが本当に私にとっての幸せなのか?」とも思えてきてしまった。本当は「人並みの幸せ」を手に入れてなんとか世間体を保ちたい。としか思っていないのではないか?と薄々気付き始めたのです。

というのも結婚したら独身時代のように友人たちと夜通し遊んだり、土日も好き勝手出かけるということは難しくなる。一緒に暮らす相手ができるということは少なからずお互い「自分の生活に制限」がかかるようになってしまう。そう考えた時に正直嫌だな。と思ったのです。(もちろんそれでも良いと思える相手だからみんな結婚するんだとは思うんだけど。)また、今更ながら今後のために色々自己研鑽もしたいし、自分のこともままならないのに子供を産んで育てる自信がないな。と(まあ生まれたらそれなりにやれるのかもしれないけど)それに、私の周りには「子供もいらない」「特に結婚願望もない」という人もちらほらいる。でもそんな彼らはバイトしながら夢を追いかけていたり、大好きな推しに生活を捧げていたり、毎日自分のやりたいことを精一杯やっていてとても生き生きしている。私には彼らがとても輝いて眩しく見える。

労基ガン無視ブラック時代に比べたらだいぶ今は自由な時間も増えグレーくらいの働き方になっている。でも、ブラック時代はしんどかったけど「夢」も「推し」もいたし、あの頃の方が楽しかったかもしれない。とさえ最近思えてきた。あの頃は今よりも若かったから色々「若さ」で乗り越えられていたことも間違いない。

私は本当に中途半端だと思う。私の友人たちのように結婚や出産といった「普通の幸せ」にこだわらず好きなことだけをやって生きていくという覚悟もない。だけど「普通の幸せ」を手にいれることだけに集中することも出来ない。

二兎追う者は一兎も得られないのにね。


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