「自分の心動くものへ想いを乗せて」ガラス作家:藤井友梨香さんの生き方・考え方
『ガラス作家』と聞いてみなさんはどんなイメージを膨らませますか?
繊細で、キラリと光る感性を持った方。わたしはそんなイメージを持っていました。
今回は、神奈川県でガラス作家をしていらっしゃいます藤井友梨香さんにガラス作家を目指されたきっかけ〜現在までのお話を伺いました。
略歴:藤井友梨香(ふじい ゆりか)
2008年に女子美術大学を卒業後、国内のスタジオ・工房にて5年勤務。
その後北米に渡り、ガラス工芸の最先端シアトルでのworkshopの受講と、アメリカ・カナダにて製作活動。
帰国後、2015年より個人製作を開始。
現在は、個展を中心とした製作活動をしている。
ガラスとの出会い
ーーガラス作家を目指したきっかけは何だったのでしょうか?
高校生の頃に進路を考えて、最初は普通の大学に行こうかなって思っていたんです。でも絵を描くことも見ることもずっと好きで、趣味程度にやっていました。色々と調べていく中で美大というものを知って、「あ、そっか。美大に行く 選択肢もあるんだな」と考えるようになりました。
たまたまその頃に、高校の図書室で万華鏡の本を見つけたのですが、それに万華鏡の筒の部分をガラスで作っている人がいて、すっごく綺麗だったんです。
そこで、ガラス大好き!と思い、その辺りから自分の好きなものをどんどん思い出していきました。私の母校は女子美術大学というところなのですが、そこのパンフレットを見ていたら、ガラスコースというものが出てきて「絶対ここだ!」と思って決めました。
そして「もともと好きな事をしていないと精神的に耐えられないな」という予感もあったので、ちゃんと手に職をつけておこうと高校生の時には考えていました。
ーー美大のガラスコースは何をやるのですか?
よく皆さんがイメージされるガラス工房が大学内にあって、工芸科の中のガラスコースなのですが、工芸科の全部の科目をやりますね。1年生の時はガラスと、陶芸、染色、織の4コースをそれぞれ学び、2年生から専門分野に。一通りの技法を習った後、それぞれ分かれていくイメージです。
ーー吹きガラスとの出会いについて教えてください。
元々ガラスに興味を持ったきっかけの万華鏡はどこへいったって感じなのですが、大学生の時に、万華鏡のワークショップを受けにいったんです。万華鏡は鏡の角度などを計算して制作していく工程があり、結構数学の要素が入ってくるのですが、わたし本当に数学が無理で・・・「あ、これ絶対できない。無理だな」と思いました。
そこから、難しいと思って始めた吹きガラスにハマってしまったという感じですね。「絶対にできるようになりたい!」みたいな。
「ガラス胎有線七宝」とは
ーーガラス作家さんとして今の技法を確立するまでについて伺いたいのですが、まず「七宝」とはなんですか?
七宝焼は「銅の生地に銀線や金線で模様を残す」というのが一般的な技法です。
私は有線七宝の本に出会うまでは七宝焼を知りませんでした。本に載っている有線七宝の写真を眺めていたら、七宝の釉薬がガラス質なことに気づいて、生地をガラスにしても有線七宝を施すことが出来るのではないかと思い、そこから実験を始めました。
ーー「無線七宝」みたいなのもあると思うのですが、色々七宝の技法がある中で、有線を選んだのはなぜだったのですか?
細かい模様をつけられるようになりたいというのがあって、金線をピンセットで曲げながら、ガラスにつけていくのですが、そういう細かい作業がとても好きでした。でも最初はこれ全然できなくて、すごくたくさん失敗しました。3年くらい多分できなかったですね。
ーーこれに関して、何がどう難しいのかがあまりうまく理解できなくて…何が一番難しいのですか?
ガラスと金属を焼き付ける際、銀などガラス以外のものは不純物と判断されてヒビが入ってしまうんです。色も変色してしまったり、あまり良い色が出てこなかったり。自分の思ったような表情を生み出すまでが難しかったですね。
ーー難しくて、私なら心折れてしまいそうです・・・
その時は本当に取り憑かれたようにそのことしか考えられなかったですね。毎日ひたすら実験しているので、少しでも良くなってくると「こっちの道ならできるかもしれない」とか、「この状態だと焼き付くかも」と思いながら材料を変えてみたり、ちょっとした事ですごく差がついてくるんです。
ただ、何かが一つでも違ってくると失敗してしまって・・・焼き付ける温度や、銀線にも色んな種類があるので、私が今使っている一番細くて薄い銀線から、もう少し分厚くなってくるとヒビが入ってしまったりとか、コントロールするのが難しくなってきます。色々な組み合わせを試していました。
ーーガラスに有線七宝で絵を描いていく手法(ガラス胎有線七宝)は世の中にあったのですか?
「ガラス」を生地にした有線七宝にチャレンジしている人は、私以外にも何人かいらっしゃいます。
よく「藤井さんしかやっていないのですか?」と聞かれるのですがそんなことは無いです。
ただ、「吹きガラス」という技法と「有線七宝」を組み合わせた作品を作っているのは、今のところ私が知る限りは他にいない、という感じです。
この技法を編み出した経緯は「自分の強みを何か生み出したい」と思ったことがきっかけです。色々と試行錯誤した結果ではありますが、珍しい技法でモノを作っているということと、良いものはイコールではないので、技法はあくまで手段であって、この技法を使いながら表現を磨いていきたいな、と今は思っています。
ーーこれから「ガラス」という造形だけではなくて「絵」として作品を完成させていくときに、有線七宝だったら自分のやりたいものが作れるんじゃないかみたいな、ガラス作家としての自分が作りたいものの完成形もこの道にあるんじゃないかみたいな感じで始めたということでしょうか?
そうですね。本当にガラス作家として作品だけで生きていくって、やっぱりとても大変なことで、何かその、自分の武器ではないのですが、強みを持たないと生き残れないなと20代のときにすごく感じました。
私富山の工房で働いていたんですけど、富山ってガラスの街なんですね、実は。
富山市がガラス工芸を市の伝統工芸にしているのもあって、ガラス作家がすごく多いんです。素敵な作家さんも多くて、このままだと本当に埋もれちゃうという感覚もありました。
そんな時に私の場合は有線七宝と出会うことができてありがたかったし、とってもよかったなと思っています。
有線七宝がメインでできるようになるまでは、吹きガラスの器をずっと作っていて、そっちはそっちですごく頑張っていたというか、本当にがむしゃらにやってましたね。
「ガラス胎有線七宝」習得後の心境変化とこれからについて
ーー2018年に、有線七宝で個展が開けたと思うのですが、作家として生きていく上で、自分が納得する作品が作れるまでの過程はすごく大事だと思います。
それを追い求めること以外に「自分自身」を大切に思えてきたのがこの1年なのでは?と感じました。何か大きく変わったことはありますか?
そうですね。一昨年(2018年)に、有線七宝が確立して喜びに満ちていました。その次の年、2019年は「展示をしたい!」と思い、描きたいものも多かったので春夏秋冬でやろうと考えていました。色んなギャラリーからお話も頂いていたので、予定を組んでいったら、それがすごく大変で(笑)
「他のこと何もできない!」みたいな状況になって、だんだん眠れなくなってしまいました。「個展まであと何日だっけ?!」とか、「まだできてない・・・」みたいにずっと締め切りに追われているような感じでしたね。
やりたいようなことができるようになってきはずなのに、焦る気持ちが強くて、全然楽しめていないというか。もう精神の方が バランスを崩してしまって。個展はやりたいことではあるし、頑張りたいのだけど、こんな風には続けられないなという思いと共に、やり方を変えなければならないと強く感じました。
実は昨年まで、家にWi-Fiがなく、SNSはやらず、人にもほとんど会っていなかったんです。元々は、変な影響を受けたくないという思いと静かに集中する意味で自らそういう環境を作ったのですが、やりすぎてしまって。
でもバランスを崩してからはガラス以外のことも、もっとちゃんできるようにならないと、仕事としてずっと続けていくのは無理だなと実感しました。
ちょうど昨年の10月、個展が終わってすぐに行ったウズベキスタンにとても感動して、その事をnoteに書き始めたらすごく難しくてうまく書けませんでした。
ウズベキスタンのハッシュタグを見ていたら、古性のちさんの記事に出会って「うわぁー!めちゃくちゃ素敵!」と思ったのと同時に、モスクの写真を見て「わたし何でちゃんと写真撮らなかったんだろう」と…
写真を撮るのは好きだったのですが、「そんなことやってる暇があるんだったらガラス作らなきゃ」とか、「ガラスに全てを捧げていないと」みたいにガラス以外のことをやってる自分になんとなく罪悪感を感じていました。
のちさんの写真を見た時に、のちさんが楽しんで撮っているのがすごい伝わってきて、人が表現するものって、そういう喜びとか、なんかもっと健康的な気持ちから生まれている物の方が気持ちがいいなってそこで結構気づかされました。
ーーすごくわかります!そこに気づいてゆりかさんは何をしていくのですか?
そうですね、自分なりの欲求に素直になることにしようと思うようになりました。写真を撮ったり、書きたいことがあったら書くみたいな自分の内側からの欲求に応えていく感じです。去年は、私自身が完全に閉じていたので、自分が見たいものしか見ていなくて、出会えるものがすごく限られていたのですが、自分の感覚に素直になることで、歩く道とかも変わってくるんですよね。
余裕が出てきたのもあると思うのですが、「こっちの道の方が気持ちよさそうだから、こっちの道通ろう」と考えてみたり。
ーーなんか少し変えてみて、半年くらい経った今、変えた事が作家としての仕事に返ってくる、みたいな感覚を持ったりはしますか?
すごくありますね。やっぱり描いて楽しいんですよね。昨年までも楽しくやっている部分はもちろんあったんですけど、どうしても苦しみの方が勝っていて。
吹きガラスは体を使って作るものなので、やっぱり疲れている状態で吹くのと、そうではない状態で吹くものって出来が違うんです。単純に疲れているときは、数ができないとか集中できないとかもありますが、それ以上にできた物の形の伸びやかさだとかが結構違ってきます。なので、今は自分の体に注目というか、自分の体がいい状態でいることが、作品を作ることよりも一番大事なのかなって思います。
ーーそういう心境変化があってから、作品は発表されていますか?
まだしていないです。去年の反省を活かしてではないですが、今年は個展を1回しか入れていないんです。9月に個展を予定していて、今そこに向けて作っているところですが、昨年とは全然違うものになるだろうなと思っています。
ーー今は、ガラスっていう素材に何を描きたいと思っていらっしゃるんですか?
どうしても植物を描いてしまうんですよね。今年の春自粛期間だったっていうのもあって、家の周りを散歩していたんですけど、山野草がすごく綺麗で。家の裏が森なのですが、そこに行って、今まで見たことなかった山野草とかを見て、すごく感動して、それを描きたいって、内側からの衝動がありました。
そういうものを素直に取り入れていきたいなと思っています。今は植物が多いですが、これから色んな所を旅できるようになったら、旅先で出会ったものになるかもしれないし、自分の心が動いたものを素直に作品に繋げられたらと思っています。
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今回の取材は、全てオンライン上で行なっていたのですが、画面の向こうから、ふんわりとしたゆりかさんの容姿とは裏腹に、内に秘める想いがしっかりと伝わってきました。
特に印象的だったのが「難しかったけど、これからの長い人生を考えた時に、今習得できたらずっとそれをやっていけるから、今は焦らずにやろうという気持ちでした」というガラス胎有線七宝を習得される過程を表した言葉です。
難しくて、長く険しい道のりになりそうだと覚悟を決めながらも、しっかりと一歩ずつ先を見据えている素敵な言葉だと思います。
わたし自身は、結果をすぐ求めてしまったり、焦ると何も手につかない事が多くあるので「積み重ねる」という事の大切を身に沁みて感じると共に「余白のある生活」の重要性を再認識した気がします。
世の中が目まぐるしく変わっていく今の時代、自分の中で変えてはいけないものと、変わっていかなければいけないもののバランスをうまく見つけていきたいと思います。
この記事は、オンラインコミュニティ #旅と写真と文章と 2020springの企画「インタビュー記事を書こう」の参加記事です。オンラインインタビューを経て、文字起し、ライティング、相互赤入れを行いました。
★個展のお知らせ★
9月5日〜9月13日にこちらでゆりかさんの個展があるので
ぜひ、興味のある方はいらしてください^^
Photo by: Asuka Yasunaga & Tomomi Isa
Interview by: Tomomi Isa
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