可愛い
最近、愛とは何かとよく考える。
可愛い可愛いと旦那に言われ続ける日々には慣れてきた。
決して自分が可愛いと自覚した訳では無い。
ただ、何をするにも可愛いという言われると言葉の価値が薄れるものだ。
そうして、変わらぬ日々を送っていくとマイナス思考の私は果たしてこの「可愛い」に”愛”が含まれているのかと考えてしまう。
それは犬猫や赤ちゃんを見た時に出る「可愛い」とそう変わりないと、母にも言われた。
旦那の言葉はいつでも優しい。
だがその優しさは”愛している”からなのだろうか。
私はそのマイナス思考を他者に伝える気は無い。
多分幸せな人間にしか分からない悩みだと嫌味を言われるだろうから。
私は愛に飢え、愛に怯えている。
愛される幸せを知ってしまった人間は、愛を欲してしまう。
そうしていつしか”愛”が何だったのか分からなくなっていく。
私の中の”愛”は失われていった。
その事実を自覚した時から私の心は淀んでいき、憂鬱な感情のみが湧き出てしまった。
私の貼り付けたような笑顔を見て旦那は「可愛い」と言い、眠剤を飲んだ私に「昨日もよく寝てたね」と笑顔で言った。
傷だらけの手首は潔いほど無いものとされた。私はそうして私は毎晩、手首に刃先をつきたて涙を流した。
友人と話してる時は全てを捨てて笑うことが出来た
「可愛い」と言われても素直に喜べた。
お互い虚しさを埋める時間を楽しんだ。
その時間が終わればお互い感情を捨てて、死んだように生きるだけだった。
愛を取り戻すには手遅れになってしまった。
私の手元には使い古された「可愛い」と虚しい笑顔だけが残った。
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