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誰かの小鳥

古いコルクボードをとうとう処分する。
新聞を一ページ丸ごと掲示できるほどの大きなコルクボードで、あれば便利そうだからとずっと自室の壁にぶら下げてあったのだ。

記憶を辿ってみると、あな恐ろしや、たぶん小学生の時分から持っているんじゃなかろうか。
たいして使っていないから状態は良い。ゆえに捨てる理由なし。そんなわけで何度かあった部屋の引越しでもふるい落とされることなく、今日の私の部屋にもかかっているわけだ。

結局たいして有効活用できなかった。ずっと昔になんとなく貼ってみた絵はがきやら雑誌の切り抜きが、貼りつけられたまま色褪せていっている。差しっぱなしの画鋲は錆びてきている。
その様が急に貧乏くさく思えて、貼ってあるものもろとも捨てることにした。

そうと決まればあまり深く考えて作業しないほうがいい。
どれもこれもある時代の私が「部屋に飾ろうかな」と思うくらいには、愛着をもった一枚なのだ。よく見てしまえばつまらん感傷が邪魔をする。

この歌手の歌はもうずいぶん聴いていない、ぽい。
いつの「大吉」だよ、ぽいぽい。
画鋲の穴の空いた絵はがき、誰にも出せやしない、ぽいぽいぽい。

薄目でゴミ袋に放り込んでいく。

その写真もそのつもりだった。

小さな箱の中でうずくまる白い小鳥の写真。くちばしは薄い黄色で、両頬の青い模様は、日に焼けてやや褪せた写真でもなお鮮やかだ。セキセイインコ?だと思う。
わが家は鳥を飼ったことがない。知り合いの家の鳥だろう。
そういえばこんな鳥を飼っていた友だち、いた気がする。小学校のクラスメイトだったあの子か、部活で一緒だったあの子か……。

もはや鳥どころか友人の名前すら出てくるか怪しい。なにせ十五年近くの時が流れているのだ。この鳥ちゃんだって、きっともうこの世にはいないだろう。

清潔な箱の中、快適そうに鎮座する毛並みの良い小鳥。
可愛い可愛いと写真を撮られ、その写真を友人に配られるほどに愛されていた小鳥。

ありゃ、よく見てしまった。もう捨てがたい。
小鳥の写真を引き出しにしまう。

さて、感傷はこれっきりです。薄目に戻り、片付けを再開した。

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