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夢の国での夕暮れ

ディズニーランドで迎える夕方は面白い。

朝早くから入場して歩き回り、ようやく方向感覚が掴め、ざっくりとした地図を思い描けるようになった頃、街灯に明かりがともる。シンデレラ城もほかのアトラクションもライトアップされて、昼間とはまた違った様相を見せてくれる。

目当ての乗り物には大方乗れた充足感と、もう迷うことなく歩けるという安心感。その二つを抱きながら、ふたたび新鮮な気持ちで夢の国を楽しめる。それからそろそろ楽しい時間も終わりが見えてきた、そんな一抹の寂しさもスパイスとして効いているのか、今この時の風景が、いっそう愛おしい。
そんなディズニーランドの夕方が私は好きだ。


先日、久しぶりにディズニーランドに行った。
その日2度目だか3度目のビッグサンダーマウンテンに乗って、乱れた前髪を手櫛で直しながら道に出ると、おや、もう夕方だ。時計を見ると、17時半。ディズニーの夕方は、いつだって突然やってくる。通りや川を街灯の明かりが縁取っており、あぁ、私の好きな時間がやってきた。

お子さん連れはそろそろ帰る時間なのだろう。夢のような一日を楽しみきり、力尽きた子どもを抱いて歩く家族づれが、出口に向かう人の波を作る。その波間を縫うようにして、学生さんたちが跳ね回る。こちらは日が暮れることで、かえってパワー漲っているようだ。すごいなぁ。

私の一日もまだまだ終わらない。学生さんたちみたいな弾むような元気はもうないけれど、ゆったりと歩みを進めながら、光であふれた園内とそこを行き交う人たちを眺める。
ふと、道の端っこ、喧騒からすこし離れたベンチで休む親子連れに目がとまった。

お母さんの膝の上に頭を乗せ、ぐっすりと眠る5歳ほどの男の子。その子の額を、困ったような笑みを浮かべながら撫でる母親。電池切れになってしまったんだな。
完全に降りたまぶたと、ぽかんと開いた小さな口。男の子の寝顔からは、この日一日がとても充実していたことが見て取れた。体力が尽きるまで遊び倒して、今はその全身をすっかり母親に預けて眠っている。

そんな姿を見て、私はなんだか、ものすごく貴重な瞬間を見たような気がした。


膝枕でぐっすり眠れる、これはもう子どもの特権だ。まだ大人の膝の上が広く、自分の頭がとても小さいからこその快適。そして何より、ためらいなく心身を委ね切れる、不安も気遣いも混じらない純粋な信頼。
これができる時間ってものすごく尊くて限られてて、二度とは戻らない。

私にもあった。帰り道のための体力を一切温存せずに駆け回り、体力の限界を感知する間もなく眠気に身を任せ、親の膝で眠った日が。背におぶさって運んでもらった日が。あの時の安心感は今でも忘れがたい。

時が流れ、今でも家族を信頼しているし、大切な人は増えていく一方だけど、今の私はもう膝枕では眠らない。

「重いだろうし」
「動けなくしちゃうのは悪いな」
「寝顔晒したくないな」
「よだれ垂らしちゃいそうでヤダ」
「そもそも寝心地が悪そう」

……気遣い2割、自分の都合8割といったところか。とにかく、もう誰かの膝で熟睡することはない。

もしかすると次私が膝枕に関わるのは、私自身が母親になった時かもしれない。なんてことを思う。
大切な誰かの重みをしかと受け止める、そんな膝枕もきっとものすごく尊いのだろう。その幸せは、男の子の母親の仕草のやさしさから、困ったように、だけどやはり少し嬉しそうな微笑みから伝わってくる。
私も、そして目の前でこんこんと眠るこの子も、いずれはそちら側に回るのかもしれない。

何にしても、私はこの幸せな光景を目に焼き付ける。
幸福の種類はきっと変わっていく。だけど今はただ、この親子の穏やかな時間が、お母さんの足の許す限り続きますように。


気がつくとあたりは、すっかり暗くなっていた。
夕方のディズニーランドが好きだけど、夜は夜でやはり美しかった。


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