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辛いと感じた時、一人の時間を作ること

完全にご無沙汰してしまっておりました。

気づけばもう冬を迎え、終盤に差しかかろうというところですね。
持病の影響で一般の方よりも筋肉が少ないため、寒さですぐに血流が悪くなって手足がむくんだりかじかんだりしてしまい、いつも以上に動かしづらいなと感じているこの頃です。暖かい季節が恋しいです。

さて、この数カ月の間に、私は珍しくメンタルの不調に陥っていました。
原因は、SNS上での友人たちの結婚・出産報告ラッシュだったように思います。SNSを開くと、いつも他人の最上級の幸せが飛び込んでくる。それと比較して私は…多分この先、障害・難病を抱えた状態で友人が今味わっている幸せな瞬間を感じることはないのだろうな、という悲しみが発端でした。

そのマイナスな感情を抱えたまま、素直な気持ちで「おめでとう」と声をかけることも難しく感じました。私って、他人の幸せも満足に祝えないほどの狭き心の持ち主だったのかと思えて、さらに辛くなってしまいました。

メンタルが下向きだと、何もかもが悪い方向に向かっているような気になりました。

なんとかこの状態を脱せねば…と思い、思い切ってコトの発端となったSNSを断ち切ってみました。SNSだけでなく、(友人には少し申し訳なく思いましたが)ご飯などの誘いも全て断るようにしてみました。

周りをなるだけカットして、一人の時間を確保したわけです。
物思いに耽る時間と自分が楽しいと思うことに費やす時間がメインの、私だけの贅沢でゆったりとした期間を過ごしました。

色々考えた中の一つが、新型コロナウイルスの流行きっかけに持ち始めた「自分はなぜ生きているんだろう」という問いについてでした。考える度に理由もなく悲しい気持ちになり涙が溢れる問いでした。誰かに話しても必要以上に心配された挙句答えにはたどり着けず悶々としていたのですが、一旦決着がつきました。
フロイトの「生きることの意味と価値について問いかけるようになると、我々は狂ってしまう。 なにしろ意味も価値も客観的に実在するものではないのだから。)という言葉が問いに対する答えであり私の悶々に対する答えにもなっていて、スッキリしました。意味なんてないんだ、そして答えのないことを考えようとするから、疲弊してしまっていたのだと。

結局、2ヶ月ほどこういう期間を設けたあたりで、そろそろ誰かと連絡を取っても良いかなと思える状態まで復活しました。

考える時間と好きなことをする時間を作ったことで、自分の行き方を見つめ直すことができた。隣の芝生が青く眩しく見えていたけれど、冷静になってみると必要以上の見方をしていたと気づくことができた。
これらが回復に大きく寄与したと思います。

という、私のメンタルについてのお話でした。
今年はもっとnoteで発信できるようにしていきたいです。頑張ります!

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