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やめるということの必要性について

こんにちは、りりです。

最近仕事でもそれ以外でもインプット量が多すぎてかなりの飽和状態にあります。


「自分が選択してやってきたし、他人に言われてやっているわけではないよね」

「やりたいことをやっているのに疲れただなんて贅沢だよ」


以前の私ならそう言ったかもしれません。

はい、ひどいですね。

自分が実際その状態になってから気づくとことが往々にしてあるってことをこの歳になってやっと知りました。

過去の私が無意識に発した言葉で傷つけてしまった人たち、本当にごめんなさい。

これからはもっと寄り添うことができるはずだから許してね。

そんなこんなで、今、ちょっと荷物が多すぎて疲れてしまったので気持ちを吐き出すために書いています。


私は4月に総務から営業職へと部署異動しました。

属人性が強く変化を受け入れないバックオフィスの業務効率化をはかりたくて異動を希望しました。

同じ業務に10年以上主担当として働いていたため、凝り固まった思考で改善点を洗い出す作業は難しいと感じたからです。

一歩引いた場所からバックオフィスの全体図を把握し、他部署とプロジェクトとして取り組み違った目線で見たらきっとうまくいくはず。

働き方改革を進めたら他の企業にも推進していけるんじゃないだろうかと考えたんですね。(甘ポイント1)

あとは自分の可能性を信じた、といいますか。(甘ポイント2)


違う分野に挑戦して失敗しながら成長していく自分

今までやってこなかったことを吸収してその先に見える世界があるんじゃないかと期待する自分


こんなぼんやりとした気持ちでいるのに安住の場所から抜け出しました。

アラフォーなのに無謀と言われても仕方ないのですがまぁとにかくやってみたかったんです。

それで疲れている。(そりゃそうだ)


元来、生真面目というか融通が効かないというか。

受け流すことができず深く物事を考えてしまう私はたくさんのことを詰め込みすぎて身動き取れずにいます。

仕事だけでなく、あれもこれもとやりたいことばかり湧き出てくる。

だけどどれも中途半端のままで深く考えることができていません。


やりたいことってなんだ?


その先にどうしたいのかどう繋がっていくのか見出せていません。

自分の中に隙間を作ることで見えてくるのでしょうか。

答えは自分の中にしかないことはわかっています。

誰かに言われて出てくるものでないってことはもちろん。


お読みいただきありがとうございました。

さて、吐き出す場所があることを喜びつつ日常へと戻りますか。












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