見出し画像

他者から認められるということ

 「傷病名と書かれてありますが、これは病気ではありませんからね」と丁寧で落ち着いた口調で説明されました。「今は性別不合とか性別違和といわれていますが、なかなかピンとくる人がいないので、旧い言い方の性同一性障害と書いておきますね。でも決して病気じゃないですからね。これは生き方に関することだとぼくは思います」。担当医師は再三にわたり”病気じゃない”ということを私に繰り返してくれました。私は内心自分は病気だと思っていると見立てられたのだろうか、初診時に受けた心理検査からはそう見立てることができたのだろうかと、自分の気持ちってどうなっていたかなぁとぼんやり考えていました。

 心理検査では成育歴を幼少時から現在に至るまで細かく想起して記入し、書くだけでなく臨床心理士に対して話しました。その過程のなかで正気でいられたかどうか。何度も取り乱しては目を潤ませて、冷静沈着に話せたかよく覚えていません。思い返す作業をしていると、これまで感じてきた性別違和感は確かに存在して持続していたんだなぁと思いました。ですが、性別違和感と書きましたが、実はそう思えるようになったのは診断を明確にもらったときからでした。それまでは、自分の性別違和感がまっとうなものなのか異常なものなのか、はたまた勘違いや思い込みなのか。自分でははっきりと苦しんできたことを覚えているのに、そう名づけていいのか自分でもわかりませんでした。見ず知らずの医師から「キミ、それは性別違和じゃないよ」と断罪されるのではないかと怯えていました。怯えながら、でも確かに、あのころから今に至るまで、私の違和感は確かにいつも存在していました。

 「もっといろいろ質問されると思ってましたか」と担当医師は私の臆病な気持ちを見透かすように言いました。医師のいう通り、私はとんでもなく質問攻めにされて「これは間違いない、間違いなく性別違和者だ」と満場一致で納得させられるだけの担保になるような質問を、雨のように浴びせられるのではないかとひやひやしていました。医師は続けて「今日お会いして少し話しただけでも十分物語ってますし、前回心理士に語っていただいた言葉だけでも間違いなく性別不合だといえますよ。あなたの人生が診断させています」と言いました。その瞬間には、その言葉の意味が音として入力されただけでした。つまり、診断は私が望む通りに下りたんですね。ですがその意味が私にはよく実感できませんでした。

 帰宅してパートナーに診断書を見せました。見せる手は水道代の料金表の紙を見せるがごとく、ありふれたものを見せるかのように渡しました。パートナーに「どう?」と聞かれましたが、「何かが激変したわけではないね…」と、歯切れのわるい言い方をしました。するとほどなくしてパートナーが涙を流しました。「認められてよかったね」そう言いながら、煮え切らない私の前で泣きました。その瞬間、今日この診断をもって、私がこれまでの人生のなかで”異常行動”のレッテルを貼りつけていた、性別違和に基づくアレコレがすべて説明されたんだと気がつきました。私はオカシイと苦悩した中高生時代も、開き直ってハイになった大学時代も、諦めることを覚えた今も、病気や異常なんかじゃなくて、私の性同一性がズレていたのだった。自分は間違っていなかった。そう思いました。

 一人になった部屋で、キッチンに立って洗い物をしていました。いつも通りの日常が、過去の恥も悲喜も背負って、当たり前の顔をして過ぎていきます。ですが、過ぎ去ったあの日、何もかもキツかったあの頃を意味づける言葉が確実に変わり、私の内に暗い陰をおとしていた部分に光が差しました。その嬉しさに、私はキッチンを前にくずおれてただ一人、あの頃の自分をふんわりと優しく抱きしめて嗚咽しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?