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第32話◉好きな人◉

想いは紙一重

今夜も【Bar Siva】は後5分で定刻を迎える。

ボーイのサトシはオーナーママのリリーに向かって言った。

「ママ、後5分で定刻です」

リリーは目を閉じたまま口を開く。

「お願いするわ。
すでにイライラしてきた」

「かしこまりました。
すぐご用意いたします」

サトシは即、厨房へ入った。

リリーはゆっくりと目を開けてタバコに火をつけた。

大きく息を吸ってタバコの煙を吐く。

リリーのモヤモヤは少し落ち着いた。

このモヤモヤは今から来る1番目のお客の相談内容が視えているせいである。

サトシは急ぎ気味に厨房から出て来て、リリーにビールグラスを渡してストレートに質問した。

「そんなに理不尽な話なのですか?」

リリーは渡されたビールを喉を鳴らしながら呑んだ後に答えた。

「ふぅ。相変わらず美味しいわね…
理不尽っていうよりも、あ、そうなんだって感じかしら?
偏見がある世界だからね」

「どの世界なのですか?」

サトシが続けて質問をした時に店のドアが開いた。

「いらっしゃいませ〜」

サトシは内心、質問の答えを聞けなかったことを残念に想いつつ安定の爽やかさで言った。

店に入って来た。

その男は少し機嫌が悪そうに見えた。

その男、室田はカウンターに雑に座った後に口を開いた。

「久しぶり。
とりあえずビールで」

ポケットからタバコを取り出しながら眉間にしわを寄せた。

リリーはピクリとも反応せず淡々と言った。

「ご無沙汰ね。
私もビールいただいても構わないかしら?」

「どうぞ。
聞かなくていいから呑んで」

室田は冷たいトーンで言った。

リリーはサトシに目配せをしてから室田に向かって話す。

「特に鑑定では無いんでしょう?」

「今更鑑定しなくても君は僕の気持ちに気付いてるでしょ?
何度も口にもしてきたし…」

室田は目を伏せたまま少しイライラした口調で言った。

リリーはポーカーフェイスのまま答える。

「そうね。今更ね」

リリーは室田のタバコに火をつけた。

室田はタバコの煙をゆっくり吐き出した。

そこへサトシがビールを2つ運んで来た。

リリーは既に飲み干していた空のビールグラスと交換に新しいビールを受け取った。

その新しいビールグラスを室田の顔に向かってエア乾杯した。

「いただきます」

リリーは低めの声でそう言うとビールをひと口呑んだ。

室田はタバコを吸いながら

「君はいつまでこんなことを続けるつもりなんだい?」

おもむろに聞いた。

リリーはタバコを深く吸ってゆっくりと煙を吐いた後に口を開いた。

「こんなこと?
どんなことかしら?」

「飲み屋だよ。
なぜ君は飲み屋なんかする必要があるの?」

室田は早口で言った。

リリーは真顔で答える。

「ねぇ。
それって何目線の話かしら?
なぜ私は私のしていることを貴方に何か言われなくてはいけないのかしら?
おかしくない?」

室田は貧乏ゆすりをしながら答える。

「僕の気持ちは当然分かってるだろ?
もう何年も君が飲み屋をやっていることが理解できないんだよ。
そう何度も話してきたじゃないか」

リリーは笑えてきた。

ニヤケながら話す。

「ねぇ。
話がおかしくない?
私達は何の関係もないのよ。
貴方は私の家族でも恋人でもない。
ちゃんと認識出来てる?
そんな人に私が仕事としてやっていることに何かを言われる筋合いもないわ」

リリーはビールを一気に呑み干した。

室田は頭を掻きながら話す。

「それはもちろん分かってるよ。
でも僕は今までにない気持ちを伝えているのは理解してもらえてる?」

リリーは少し驚いた。

そして冷静に答えた。

「私は私に逢う前のあなたを知らないわ。
ねぇ考えてみて。
貴方の話してることは全て自分軸であって私は一切関係ないわ」

室田は目を見開いた。

そしてひどく驚いた様に話す。

「君は僕が何を言っているのか伝わらないのかな?」

リリーはタバコを新しく付け替えながらゆっくり答えた。

「好きな人って貴方にとってはどういう扱いなの?」

「扱いって…」

室田はうろたえた。

リリーは重ねて話す。

「好きな人がやってることをまずは受け入れるべきじゃないかな?
だって自分の好きな人なんでしょ?
なのに、なぜ、好きな人が仕事として真剣に取り組んでいることを全否定するの?
なぜ自分の物差しで決めつけてるの?
しかも、相手がどう思っているかの気持ちは無視した上でジャッジメントって…
一体貴方は何様なの?」

とても淡々としかも堂々とした態度でリリーは訊ねた。

室田はイラついた様子で答える。

「君は僕が言ってることすら理解出来てないってことだよね?」

リリーは急にトーンが最上級に低くなった。

そして話す。

「私達は日本語をお互いに話してるけど平行線よね…」

サトシが運んで来ていた新しいビールにリリーは口をつけた後に続けた。

「貴方は会社を起業して今では成功してるかもしれない。
それと私の仕事を否定する発言をするのは別問題だと思うわ。
だって、それ以前に私は1度も貴方を好きとか一緒になるなんて言ったこともないわよね?
私達は恋人でもないのに私のすることに何かを言われたくないわ」

室田はハッとした。
やっと自分の言葉遣いがかなりの上から目線であることに客観的に気が付くことが出来たのだ。

リリーを好きな気持ちと飲み屋をしているジレンマを理解できないのは全て己の感情だ。

それをリリーにぶつけていた事に気が付いたのだ。

室田は素直な言葉を口にした。

「ごめん。
君に僕の勝手な気持ちを押し付けていただけだね。
思い通りの答えをくれない君に苛立っていた。
無理って頭では理解してるよ。
本当に申し訳ない…」

室田は右手のひらで両目を覆った。

リリーは低いトーンのまま答える。

「理解してもらえて良かったわ」

室田は両手で自分の顔を2回叩いて気合いを入れた。

そして

「よし。
今日は時間まで楽しく呑んでください。
気持ち入れ替えます」

少し吹っ切れた様にも見える空元気で言った。

リリーはニコッと笑って言う。

「では改めまして乾杯ね」

そう言ってグラスを持ち

「カンパーイ」

と目を薄め口だけ笑った状態で乾杯した。

厨房の入り口で一部始終を見ていたボーイのサトシは背筋が凍る感じがした…

・・・

それから2年…

室田が結婚をしたと風の噂で聞こえてきた。

・・・

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