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私はアダルトチルドレン

私は10年以上前に斎藤学先生の、アダルトチルドレンと家族という本を読み
AC(アダルトチルドレン)を自覚しました。
それから、当時あったAC関連の本を、ほぼすべて読みました。

それまで、ずっと自分は狂っているんだと思っていました。
だけどそうじゃない。
私はアダルトチルドレンだったのです。


それから1度だけPIAS麻布カウンセリングセンターでカウンセリングを受けました。
それが人生初のカウンセリングでした。
あの時、勇気を出して受けることが出来たから、一歩前へと踏み出すことが出来ました。

そのあとは原宿カウンセリングセンターに半年ほど通いました。
アダルトチルドレンのことを理解してくれているカウンセリングでないと、
こわくて行けなかったので、
本を出している先生のところなら間違いないだろうと
新幹線でがんばって通いました。
カウンセラーさんとの相性も悪くもなく良かったのですが、
子供が0歳だったので金銭的にも距離的にも続けるのが困難で、
月1通うのが精いっぱい。
これでは難しいと思い、地元でアダルトチルドレンに理解のあるカウンセリングを探して、ありがたいことに近くにあったため、通うことにしました。
すごく良いカウンセラーさんがいるところで、本当にお世話になりました。
そちらには1年半ほど通いました。

ACを自覚するまでは、
一人でずっとなにかと戦って、自分でどうにかできると思っていました。

だけど、ACを自覚して、
私には、もう何もかもがすべて、
自分で処理することが無理だと思ったとき、
はじめて光が差してきました。
助けてくださいって、言えたら、
手を差し伸べてくれる人はたくさんいました。


地元のカウンセリングに通う中で、いろいろ状況が変化して
間が空くようになりました。
それでも、ぽつりぽつりと数回通ったと思います。
短期間東京に部屋を借りた時期があり、オンラインで受けたときに、
何のためにいま受けているのですか?と聞かれました。
困惑して、言葉に詰まりました。
担当のカウンセラーさんは心配していたんだと思います。
このまま私が来なくなってしまうことを。
まだこのままにしたらダメだって思ったんだと思います。
絶対に将来の投資になるから、頑張って通ってほしいと言われたけれど、
そのあと行くことはなかったです。

でもそれは悪い意味ではなくて、もう自分で見つめていける段階まで
私が回復していたからだったんですね。

地元のカウンセリングに通うのには勇気が必要でした。
自分の話をしなくてはならないから。
恥ずかしい自分の、隠しておきたい秘密の箱をあけないと、
前に進めないから。
でもそこは完全に安全な場所だと理解して、信頼していけるようになりました。
今でも本当に感謝しています。
高いお金を払って、今日の話には何の意味があったんだろうと思う時もありました。
でも、回数を重ねるごとに、その1回がかなりの意味を持ってくるのです。
ストンと腑に落ちる瞬間があって、その瞬間、
自分が回復の階段をのぼっているということがはっきりわかりました。
それがうれしかった。

私はアダルトチルドレン。
その言葉に救われた一人です。
苦しみの果てにたどり着いた、一つの言葉。



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