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モラルハラスメントと共依存


前回の記事にも書いた、アダルトチルドレン。

私がアダルトチルドレンという言葉と出会ったのはインターネットで、
もう15年ほど前だったと思います。

そこには、アダルトチルドレンについてと
役割について書いてくれてありました。

自分自身に当てはまり、
もしかして私ってそうなんじゃないか?
と思ったのと、
当時のパートナーもあてはまっているな・・・と思った覚えがあります。

けれどその時はまだ、そうなんだ、位で、
それをどうにかしようというところまで全く考えが及びませんでした。
自覚には至らず、頭の片隅にという感じでした。



私はその後、当時のパートナーと結婚しました。
お付き合いしている間も、
とても辛いことが多かったのですが、
結婚してからはさらに加速しました。

こんなに苦しいのに、
状況を変えることが出来ない自分が狂っていると思っていました。

結婚後に、何か助けはないかと、
インターネットで自分の状況を検索して、
はじめて、「モラルハラスメント」という言葉を知るのでした。


モラルハラスメントとは、精神的暴力で、
肉体的な暴力ではなく、言葉や態度での暴力になります。
今でこそ、ハラスメントという言葉が当たり前になり、社会問題になり、
逆に何に対してもハラスメントという言葉が簡単に使われて独り歩きしているような状況です。


けれど、実際に助けが必要な人のところには
なかなか届かない、
というのが今でもそうなんだと思います。
私が彼と出会った頃は、
まだインターネットが普及し始めたばかりで、
そういった情報は全くありませんでした。

二人の間に起きていたことが、
「モラルハラスメント」だと知った時には
すでに出会ってから9年ほどたっていました。

私に自由はなく、友達と遊ぶこともできませんでした。
電話番号も変え、人との社会的繋がりがなくなりました。
彼は、働いてもすぐにやめてしまうので、
金銭的な負担もほとんどが私でした。
何か気に入らないことがあれば何時間も支離滅裂な言葉を投げかけられ、ほんの少しのことを決めるだけでもとても大変でした。
離れていても見張られているような恐怖感と緊張感がいつもありました。
(ここでは何があったか詳しく書くことは必要があるとき以外はありません)


モラルハラスメントは
肉体的暴力がない分、周りに気付かれにくい、
自覚しにくいのです。


また、長年その環境にいると、
それが当たり前になり、
その中でどうすれば怒られずに生きていられるか、
どうすれば少しは楽に生きられるか、
という知恵を付けてくるのです。
常に怒らせないようにしている、というのは当たり前のことになります。


なので、何が何だか本当にわからなくなるのです。
自分自身がなんなのかが分からなくなる。
私が何を考えているのかが見えなくなる。


それでも怒らせてしまうのは、自分が悪いからだと思っていたし、
毎日怒られるわけではないし、
長年の間で微妙に関係性も変化していくので、
自分も言い返したりはできるようになるので、
これがDVという認識が全くありませんでした。

いっそ、殴ってくれたなら、いいのに、、、
と思ったことが何度もありました。
そうすれば、誰か気付いてくれるかな、
誰か助けてくれるかな、、、そんな風に思っていました。

暴言のあとには必ず謝罪があり優しく弱くなる。
彼も苦しんでいるんじゃないか、
と思っていたし、
そんな彼を見捨てられないとか、
かわいそうとか、思っていました。


これがまさに共依存の関係性で、
磁石のように2人を離れさせなくしていました。

「モラルハラスメント」

という言葉を知っても、
共依存の関係でもつれきっているからどうすることもできない。
苦しいのに、変えられない。

結局そこから、
私が変わろうと行動にでるまでには、
さらに3年ほどかかりました。

そして、そんな二人の間に、
子供が産まれました。

子供が産まれたことで、
私の中の何かが壊れ始めました。


依存の対象が変化したのか、
バランスを崩しはじめました。


子供が大きくなるにつれて、
決めていかなければならない重要なことがたくさんある中で、
その都度怒られたり言い争いをしなくてはいけないのかと思うと
とてもやるせない気持ちになりました。
そんな姿を子供に見せ続けていくのか。

不満だらけのまま一生過ごしていくのか?
それを決めているのは誰なのか、
紛れもなく自分自身なんだということを受け入れざるを得ない状況でした。

その時、不満だらけの状況って母と同じだと気が付きました。
母のようにだけは絶対になるもんかと思って生きていたのに、
このままでは私は母と同じだな、と思いました。

そして感情のコントロールが難しくなっていきました。

今まで辛い時には、消えていなくなりたいとか思っていました。
どこか自暴自棄になることで、
生きるバランスをとっていたんだと思います。

けれど、小さな我が子を抱えて、
死にたいのに、死ぬわけにはいかない。
消えたいのに、生きなければならない。
もはや逃げ道がない。
自分の中の矛盾に、もがき出しました。

こんなに愛おしい、夢にまで見た自分の子供が生まれてくれて、
本当に幸せなはずなのに、
どうしてこんなに辛いんだろうと。


今までは耐えられていたのに、
口論になると、もう耳を塞いで何も聞きたくない、
叫び出したいような、パニックに近い状態になり、
心が引き裂かれるような気持ちでした。

ある日、1つの大きなことに気が付きました。


私は我が子に、どうしたら、
この世界が素晴らしいって言うことを教えてあげられるのだろう。
消えたいと思うぐらい苦しくて、
辛い世界をずっと生きてきた私に
一体何が教えられるのだろうか?
といつも思っていたのですが、


なんで私は、この世界が素晴らしいって知っているんだろう・・・?
と思ったんです。


私は本当は知っているんだ、
だから、教えたい。
私も素晴らしい世界を見たくて、ここにいるんだ、
ということに気が付いて、
涙が止まらなくなりました。


私は生きたいから、
家族が欲しかったんだと。
私は救われたかったから、
この子を産んだんだと。


これが、私のスピリチュアリティの1番最初の
目覚めでした。

それは私のエゴなんだと思ったとき、
私は変わらなきゃいけないと思いました。
もう、変わりたいんだ、どうしても。
私が私の人生を生きて幸せにならなくてはと思いました。
心から笑っている私でこの子と向き合いたいって。

これが、私の原動力になりました。

モラルハラスメントと共依存、
アダルトチルドレンは関連しています。

今まで、通り過ぎてきたことをたぐりよせて、
どうすれば私は変われるのだろうかと、
モラルハラスメントについて調べていくうちに、
共依存とアダルトチルドレンにたどり着けました。

そして私は、
斉藤学先生のアダルトチルドレンの本にたどり着くことができ、
私が長年苦しんでいたことが、どういうことだったのかを知る事なったのです。

そして、考えても考えてもわからずに、もがいてきた苦しみから
少しずつ解き放たれはじめたのです。


あれから10年以上の月日がたちました。
子供も大きくなりました。
自尊心が低く、自信がなかった私も、
今ではかなり変化しました。
子供にも、寂しい思いや辛い思いもさせたかもしれません。
とてもじゃないけど、立派な良い母にはなれていません。
まだまだ私も成長中。
言うこと聞かなくなってきた子供と、
毎日体当たりです。
でも、愛はある。

私を助けに来てくれた。
心から感謝しています。

運命の人。
この曲を子供におくりたいです。


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