体型の美醜
わたしは正直、太っている。
太った姿が、もしかしたら自然体なのかもしれない、と甘えた想像をしてみて、現実から逃避している側面を自覚している。
一方で、この「太っている」ことを問題視して、痩せようとしている行為も見られるが、食事によるドーパミン分泌の虜になっているようで、うまくいっていない。
運動をするには体力がなく、食事は結構な量を食べてしまう悪循環にハマっていて、わたしはこの無限地獄から、どうやって解き放たれようか、思い悩んでいる。
しかし、身体は健康そのもの。太っているとはいえ、腰や膝に来ているわけでもなければ、若干の脂肪肝はあるがそれ以外は特に問題はないらしい。
風邪もほとんど引かない。
じゃあ、わたしの「痩身したい」という思いって?
世間によってそう思わされている要素がある気がしている。
今も昔もルッキズムはあるが、今はSNSによって露骨かつむき出しになっていると思う。
美貌を備えたものは、人気を博し、何となく主張も通るみたいなポジティブな心理効果も得られる。男女問わず、美人は得だと思う。
わたしも、そのような存在に憧れているのではないか。と思う。
痩身して美しくなれば、人気を博せるとどこかで思っているのがふてぶてしいと自分で思う。
でも、見た目は嫌でも劣化していくものだし、どんなに美しくても一時的な仮初めの姿にしかすぎない。ということもわかっているのだけど。
歳をとるごとに目減りしていく価値に身を委ねるのは危険だと、普通の人なら思うだろう。
そういう意味で、人は見た目ではないけれど
見た目から判断するのが人間。ということで、また人間というものの矛盾に、わたしは辟易とする。
「モテてもいいことはない」らしい。
確かに、見た目や身体目当ての付き合いだと、表層的な関係性でしか繋がれないのでは。という不安感が私にはある。
見た目じゃなくて、中身を見てほしいなんて言うが、中身の反映が見た目の要素を作るのだ。2つは繋がっている。
これは一般的には生活習慣的なことを意味するらしいが、わたしには心の状態なども現れると思っている。
だから、幸せそうな人には安心するし
ギスギスした人には近寄りたくなくなる。というのは経験しているのではないのだろうか。
まあ、わたしは誰かのことを深部まで知りたいと思ったことなどなく、異性、同性と恋愛関係まで砕けた関係性などなったこともない哀れな人間なので、面白いかもしれないが、何の参考にもならないなと思う。
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