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雪組fffに感動した話。

fffがあまりに素晴らしい作品すぎて感動が止まらないので、その感動をうまく言葉にできるかわからないけれど、とにかく感じたこと・考えたことを満足いくまで書き残しておきたい!(※ネタバレ注意なのと、かなり個人的な想像・妄想が入っているかと思います)

第九を作り上げるに至るまでの過程が、過去と現在と空想をごちゃまぜにしつつ、ギュギュっと1時間半にまとまっている時点で本当にすごいの一言なのですが、音楽家として第九を作り上げる、というより、一人の人間として生の意味を見つけるお話のような気がして、まさに歓喜に歌うラストは、何の涙かわからない涙がぼろぼろ流れるんですよね。うれしい涙でも悲しい涙でもなく、きっと、ただひたすらに感動する涙。嗚呼、生きるってすばらしいな、って感動してるのかな(笑)

謎の女という存在の意味

最初、謎の女という存在は、エリザべートのトートに似てるのかな、と思ったんだよね。シシイがトート=死を受け入れるように、ルイは不幸を運命として受け入れる、みたいな。
でも、トートはシシイの外側に存在していて、何よりこの二人の間には明らかな恋愛感情があるんだけど、謎の女はきっとルイの内側に存在していそうだし、そもそも感情すらあんまり持ってなさそうなんだよな。共同生活のシーンあたりからたまに感情が見え隠れするものの、ルイとの間にあるものは普通の恋愛感情じゃなさそうだし。

謎の女=不幸はルイの人生の一部で、抗った末にその存在を受け入れたからこそ自らの生の意味を見出し、歓喜の歌を作り上げることができた、ということ?二人の間にあるのは恋愛ではないけど、やっぱり愛ではあるのかな?ルサンク読んでたら最後の名前が「運命の恋人」になっていた(!)ので、やっぱり恋愛感情はあるの!?難しい。

ていうか、謎の女もナポレオン(雪原のシーンは少なくともそうだと思ってる)も観念的な存在で、ルイの内側にある、ルイが作り出したものだとすると、彼は自分(と自分の想像力)で自身を鞭打ったり鼓舞したりしながら前に前に進んでいくことのできるスゴツヨ人間なのでは。まあ、「やるならやってみろ、運命よ」だからね、只者ではないよね(笑)

fffは現体制の雪組で演じられてきた数々の悲劇作品の総括のように見えて、すべてが報われるような終わり方になっているところがとにかくだいきほファンの一人としてうれしいです。不幸が起こる人生が幸せじゃないとは限らなくて、不幸に抗いながらも生き抜くことにこそ意味がある、というか、そもそも生きるって苦しいものだ、ってことなのかな。「若きウェルテルの悩み」の上演中、ゲーテは、その苦しみから死によって逃れることができる自由について話しているけれど、不幸の果てにルイは死ではなく、生き続けることを選んだ、それが運命への勝利ということ?不幸を運命と受け入れて、ともに生きることを選んだルイが最後に「人生は幸せだった!」って言っているのが印象的。不幸とともにあるからといって、その生が不幸なものであるとは限らないんだなあ。(ワンスでも似たようなことを考えたんだよね。ラストでヌードルスはマックスもデボラも永遠に失うけど、ヌードルスの人生が不幸なものだったかというとそうじゃない、と思う。そういう一歩進んだような人生観を毎回見せてくれる望海さん、本当にかっこいい。)

ロールヘンの最後の手紙の意味

唐突ながら、ロールヘン、いいよね。謎の女がヒロインというかなんというか不思議な存在である一方(最後は役名がただの「恋人」になっているので絶対的ヒロインではあるのだろうけど!)ロールヘンの圧倒的ヒロイン感。ずっと青いドレスを着ていて、慈愛に満ちた女神のような女性で、産褥で亡くなるって、メラニーじゃん、とか思って見てた。(関係ないけど、だいきほは風共似合いそう。メラニーはひらめちゃんで。)

それはさておき、最後のシンフォニーの途中、ロールヘンが読み上げるナポレオンの畝の話、すごく意味ありげでずっと気になっていて。国づくりに生きがいを見出していたナポレオンだったら、何もない孤島ではきっと生きる意味も見失ってしまうんじゃないかな、と思うんだけど、ルイが夢の中でナポレオンと出会って音楽への創作意欲を取り戻したように、ナポレオンは畑の中で何かに打ち込むことへの純粋な情熱を思い出して、生きることへの希望を取り戻した、とかいうことなのかしら。劇中描かれていない、流刑になる直前のナポレオンは、理想を追い求めて孤独にひた走る中で、そういう純粋な情熱を失っていそう。それは対価(金貨)を払ってでも得る意味があるものだ、と流刑先で自ら気づいた、ということなのかなと思ったり。

ロールヘンは、狂ったように仕事に打ち込むルイを心配しながらも、夢中になって打ち込める何かがあることがどれだけ尊くて、どれだけ幸福か気づいていて、苦しむルイにそれを伝えたくてこの手紙を書いたのかしら。「この話をあなたに送ります。いつも全身全霊を込めて働く、我が英雄へ!」という言葉にロールヘンの愛がいっぱい詰まってて、見ているときは手紙の意味を考える以前に、その愛だけで涙が出てしまいます、わたし。ルイは自分で自分を孤独にして、独りで戦い苦しんでいたけれど、実際のルイはこんなにも人から愛されていたのだなあ。

結局ヘンデルたちは天国に行けたのか

ヘンデルたちは天国に行けたのか、最後よくわからずに終わる、というか冒頭のくだりを最後にはもはや忘れかけてるんだけど、彼らが天国に行けるかどうかは、ベートーベンが音楽を何のために使うか次第っていう話だったんだよね。ていうか、かつて音楽は神のものだった、という発想自体、音楽史に詳しい方の中では一般的なものなのかしら?フランス革命は宝塚で頻繁に題材になるけど、同時期(調べるとテレマンとヘンデルは若干前の時代の作曲家みたいだから、厳密にはちょっと時期はずれるのかも)に音楽界でも変革が起きていたという事実にまず興奮してしまうし、そこに目をつけるウエクミがさすがすぎて!

途中まで、ルイは音楽を神のものでも貴族のものでもなく、庶民による社会変革の道具にしようとしてるっぽいけど、結局最後に謎の女と一緒に作り上げた歓喜の歌は社会変革の道具じゃないんだよね。(二人で第九を作曲するシーンは見ている私も何かに気づいたような、何かを見つけられたような気持ちになって、ただただ感動する。)生きることの本当の意味を見つけたルイだからこそ、生きる歓びを曲にした、ということだと思っていて、それは何のためになったかというと、同じように現世で苦しみもがく人々の希望、とかになるのかな。どうやら、ヘンデルたち、天国に行けそうでは?(笑)

そういえば、モーツァルトだけ子供の姿で現れるの、M!を見ているとなんとなく納得はしてしまう。でもなんでなんだろう。とても気になる。

全体的に配役が神

個人的にだいもんにモーツァルトをやってほしい、とずっと思ってたんですが、まさかのベートーベンで、でも実際に舞台を見て「確かにモーツァルトよりもベートーベンが見たかったかもしれない!」とか思っちゃった(笑)自ら孤独を選んで、孤独の中で極限まで自分を追い詰めるようにして戦い続ける、みたいなベートーベン像、まさに「こういうだいもんが見たかった」でした。恋愛的な意味でハッピーエンドになりそうな予感がしない点について心配してたところ、きーちゃんは恋人でも妻でもないけど、恋人や妻以上に関係が深いというか、人生から切り離すことのできない存在というか。だいきほはいつも恋愛関係以上の関係性を毎回見せてくれるところが本当に好きだったので、また新たな二人を見せてくれたことに感謝しかありません!

咲ちゃんはワンスのマックスがあまりにはまってたから「マックスみたいな危うい感じの咲ちゃんがもっと見たい!」と思ってたけど、ナポレオンはなんかダントンに近いのかな。こういう熱くてまっすぐで豪快で頼れる咲ちゃんも好きだったことを思い出させてくれました。危ういところから戻ってこれてよかった。あーもう、未だにひかりふる路を拗らせてるわたしからすると、ルイとナポレオンは、ロベスピエールとダントンに重なって見えて、それだけで胸熱なんです。さらにfffではすれ違うだけじゃなくて(実際にはルイが一方的に反発しているだけだけど)同じく独りで戦い続ける人物として対になるよう描かれていて、二人は戦う世界は違えど、実は親和性が高い。雪原のシーンはそんな二人が言葉を交わす(現実じゃないけど)唯一のシーンで、たったワンシーンしかトップと二番手が言葉を交わさないって割と珍しい気がするけど、それでも大満足!だいさきファンとしてのわたしはちゃんと成仏できそうです!(あのシーンの交響曲第五番の第四楽章が気に入りすぎて最近ずっと聴いてる)

昨年、スカステで凪様の春雷を見て、めちゃくちゃ感動した(また見たいのでスカステでなんとか放送していただきたい!)ので、春雷で描かれた頃よりも後のゲーテをまた凪様で見れるとは、感慨深いものがあります。ルイとナポレオンが若くて熱くて終始もがいている一方、ゲーテはたぶんそういう時間はもう過ぎているであろうことを感じさせる落ち着きとか渋みが、凪様の男役としての最近の持ち味とすごく合っている気がする。春雷の頃とはまた違う。あー辞めないでー(泣)

ひらめちゃんのロールヘンがいかにヒロインで、いかに女神で、いかにメラニーか、は前述したとおりですが、少女時代のロールヘンのりさちゃんがもうかわいくてかわいくて。こういう育ち方すると、ああいう女神になるんだな、という説得力がすごい。りさちゃんの演技って嘘がなくて誠実で好きです。あまりにまっすぐで心を打たれる、というか。まあ今回はそのまっすぐさでルイを振るので(それも、回想シーン二回分)心を打たれるというよりも心にグサッと刺さるんですけど(笑)

ロールヘンとルイが子供と大人で配役分かれてるのに、ゲルハルトは通しであーさなのが地味に気になってて「ゲルハルトとロールヘンっていったい何歳差なの!?だって家庭教師だったんだよね!?少女漫画じゃん!」とか思っちゃう!あと、ルイがロールヘンのこと好きって全く気づいてなかったのかな、とか気になっちゃいます。あーさのゲルハルトはなんか気づいてそうな気がしている、好青年すぎて、何か裏がありそうなんだもん(笑)(告白するまで二人の婚約に気づいていなかったルイ、なんかかわいそう。)

ひまりんの幼少ルイはいい感じに屈折してて、にわさんとひまりんがいかに「どうやったら望海さんのルイに育つか」を考えて役作りをされたか、とても伝わります。ひまりんは目の主張力が強くて、父親を見る目、謎の女を見る目、喋ってなくても感情が全部伝わってくるよう。ちなみに、あみちゃん演じる青年期のルイは、幼少期と比べるとかなり真っすぐそうに見えるんだけど、最終的にああなってしまう(大人になったルイ)のは、やっぱりロールヘンにもジュリエッタにも振られちゃうからなのかしら(泣)

このほかにもドンピシャな配役ばかりで、カリ様のメッテルニヒ(こういうクセのある役はカリ様しかできない、あー辞めないでー)とか、あすくんのサリエリ(M!だとなんかねちねちした陰キャラ的に描かれるけど超陽キャラでびっくりした、でもぴったり)とか、あやなのルドルフ大公(ワンスのニックもそうだけど、温かい男性の役が本当によく似合う)とか。あと狂言回しの音楽家三人組がかわいいよね、とか、三人組と言えば天使ちゃんたちが私得な組み合わせ、とか。とりあえず、役が多い作品っていいよね。

何回でも見たい作品

どんどん進化していきそうな作品だし、見るたび新たな発見ができそうだから、東京公演、チャンスがあればお金と時間が許す限り見に行きたい!でもいろんな人に見てほしい!でもわたしも見たい!

とにかく記憶を頼りに(ルサンクも見ながら)こんなにいろいろ語ってしまったけど、わたし妄想癖がひどくて記憶をいろいろ改ざんしているのでは疑惑なので、また見直したら「あれ?こんな感じだったっけ!?」ってなりそうだな。そして、この記事を見返したらまた恥ずかしくなったりもするのかしら。あと、まだまだ書き足りないことが出てくる気がする!それもまた感想を書き残していくことの醍醐味かな(笑)

さて、自分の中にある感情を自分の言葉で表すまで、他の方の感想をあまり見ないように心がけていたので、これから心ゆくまで感想を読みまくりたいと思います!解禁!わーい!

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