チー牛文学 優子(34歳正社員事務職)

 優子は有楽町駅のカフェでアイスレモンティーを注文して人を待っていた。このカフェのアイスレモンティーは喫茶店には珍しくオンザロックで入れるため市販の紅茶を出すチェーンのカフェのものとは味も香りも格段に違う。店内には楽しそうに談笑する若いカップルとストレス解消のために井戸端会議に花を咲かせる女性のグループばかりで、晴れた土曜日の昼下がりにふさわしい、心地の良い騒がしさに包まれていた。高校の同級生である祥恵と綾乃の待ち合わせまであと十分ほど。祥恵のおばさんのツテで宝塚のチケットをもらったため3人で観に行くことになり、2人とは半年ぶりの再会である。
 
 優子は今日のためにセミロングの髪も暗めに染め直してトリートメントも先週美容院で受けてきた。進学を機に上京して15年目。海外旅行や美味しいディナーやアフタヌーンティーといった東京ならではのエンタメはほとんど経験済み。東京にどっぷりと使った優子はもう都心でしか生きられなくなってしまったが、その経験は優子を垢抜けた都会の女に変貌させた。東京の妙齢の女性に相応しい、デザイナーズブランドのカッティングの独特な紺色のワンピース。ゆるくウェーブをかけた髪もワンピースの雰囲気にしっかりとマッチしている。美容医療で28歳から定期的にメンテナンスしている肌は、30代半ばに差し掛かろうとする女の肌にはとても見えない。アイスレモンティーがテーブルに到着した頃、友人2人が連れ立って入ってきた。祥恵と綾乃である。祥恵は6年前東京に住んでいたものの結婚出産を機に平塚で夫婦と子供1人と暮らしで2人目を妊娠中。もう1人の綾乃は地元静岡で結婚出産し3人のママだ。

 「待たせてごめんね。優子はいつも余裕をもって待ち合わせてるから、今日はちゃんと余裕を持ってきたのに」
 待ち合わせの午後1時までには十分ほどの余裕があるにも関わらず、祥恵と綾乃は自分たちが遅れたことを詫びた。ううん、全然待ってないよと2人に笑いかけながらも優子は2人の服装を入念にチェックする。祥恵は通販で買ったであろうダサいマタニティ服、綾乃はひと目で5年前のデザインとわかるユニクロのワンピース。特に綾乃は産後太りで体型も崩れている。髪は2人とも染めても巻いてもおらず、手入れも行き届いていない。メイクも5年前で止まっている。東京のこのおしゃれな雰囲気から、2人だけ田舎の空気を纏って浮いているような気がした。
もちろん優子はそんな思いをおくびにも出さず、2人にメニュー表を渡した。

 しばらく近況報告に花が咲いたが、2人からはほとんど子どもの話ばかり。子どもを産んだ女ってなんでこんなにつまらない存在になってしまうんだろう。優子は「へえ〜」「可愛いじゃん」「旦那さん育児頑張ってるんだね〜」などと適当に相槌を打ちながら、アイスレモンティーをすすった。アラサーともなれば友人の結婚出産は一通り経験済みなので、子どもの話にも相応しいリアクションも取れるようになっていた。
「ところでさ、優子、紹介したい人がいるんだけど」
優子は急に自分に水を向けられて驚いた。祥恵はメガネをかけた冴えない男の写真が写った スマホを優子に見せた。
「職場の先輩なんだけど、佐藤康生さんっていうの。38歳で、去年離婚したんだよね。お子さんはいないから」
 優子は混乱した。この38歳のおっさんを?わたしに紹介?
「えー!優しそうでいいじゃん!よく見ると顔整ってるし!しかも祥恵の会社の先輩なんでしょ、それなら38歳で900万くらい貰ってるんじゃない?」と綾乃まで同調する。

 38歳で900万??それがわたしに釣り合うと思っているの??
優子は3人の中でも昔から可愛いと評判で青山学院大学から顔採用とも言われる大手損保会社でエリア総合職としてずっと勤務している。2人よりも美容医療や垢抜ける努力はずっとして「とても30代には見えない」と会社の後輩からも言われるのに…
「ありがとう…今は歳下の彼といい感じだから、その人はちょっといいかな。仕事も続けたいし…」
困ったような笑みを作り、祥恵からの紹介をやんわりと断った。
「そっか、仕事もできるし年収もそこそこいいし、平塚なら東京からすぐだしいいと思ったんだけどね。今度彼氏紹介してね!」と祥恵はあっさり引き下がった。平塚が東京からすぐ?冗談じゃない。あんな田舎何もないじゃん。と心の中で毒づきながら、「そろそろ劇場向かおうか」と優子は余計な詮索を断ち切るために伝票を取った。

 宝塚観劇後、有楽町駅から2人を送り出し優子は帰路に着く。電車の中でTinderを開き、 上限年齢を30までに設定し、ひたすらスワイプして好みのイケメンを探す。
絶対に歳下と結婚する。
たまたま目にしたネットニュースで39歳の女優と28歳の男性アイドルの熱愛ニュースが優子には心強い。そう、イケメンは歳上の女性を選ぶのよ。39歳でも28歳のアイドルと付き合えるのだから、20代に見える私が20代の男と結婚するのはずっと容易だ。そうだ、来週水光肌注射も予約しよう。美容医療は将来への投資。貯金ばかりしていて老けてあの2人みたいな芋くさいおばさんになるのは絶対に嫌だ。
優子はスマホから水光肌注射を予約し、新橋駅で降りてコリドー街へと向かった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?