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渡部智佳個展「idola festival」のための小編 『洞窟のイドラ、もしくは透明な混沌へ』

カーペットの真ん中で椅子に座っている女。女は白い目隠しをつけ、スクリーンに向かっている。後ろの方の暗闇で立っている男。女は白い服装だが、絵の具で次第に色づけられていく。


・・・

男「ある日のことだった。僕らはいつものように朝食を食べていた。パンと目玉焼きと牛乳と、ハムとレタスとマヨネーズ。プラスチックのスプーンで境界線を潰し、塩気と仄かな甘みが固形の現実感を呼び起こすのを珈琲で溶かして飲み込んだ。食材を買うのは僕の役目で、目玉焼きを作るのは彼女の役目だ」

スクリーンに映し出される文字
『最近眼の手術をしたの』

男「僕は彼女の眼をよく見た。普段と変わらない茶色い眼だった」

『表面にうっすら傷があるでしょう』

『一瞬で終わるのよ』
『眼の蓋をこじあけて、中身を削って元に戻すの』

男「言われてみれば、眼の中にぽっかり穴が空いていた。表面にうっすらと丸い切り込みがあって、その奥がなくなっていた。暗い穴は光を反射しないのか、部屋の様子をまるで映し込まず、押せばへこんでしまいそうだった」

『触らないで』

男「ごめん」

『「綺麗な眼だ」って先生が』

男「そんなの誰にでも言ってるんでしょ」

『でも、言われたら嬉しいものね。お世辞でも』
『先生がね、カルテを書きながら冷たく言うの。「吸い込まれそうだ」って』

男「実際彼女の眼の中には黒いもやのようなものが浮かんでいて、中央の瞳孔に向かってゆっくりと移動していた。しかも彼女の瞳孔は、もやを得て少しずつ広がっているようだった」

『ブラックホールにも眼があるのよ』

男「え?」

『吸い込まれていく過程で
周囲の水素バスや塵が発光して
白目みたいに円盤状に囲うの
黒い穴が光を捉えて離さないから
つまり宇宙で一番大きい眼』

男「へえ」

『私たちを吸い込もうと
遠くから見張ってるの』
『怖いでしょ』

男「別に」

『どうして?』

男「意思が存在しないから」

『そんなの分からないじゃない』

男「意思が疎通できなかったら、どうしようもないでしょ。
ないのと一緒だよ。中身は空っぽ」

『…空っぽ』

男「僕はちぎったパンを放り込んで、珈琲をすすった。その時、光の当たらない水面に、普段なら嫌気がするほど認める自分の姿が全く映らないのに気付いてどきっとした」

『手術の薬の影響で、まだ瞳孔が開いているの』
『眩しいからカーテンは開けないで』

男「いくらかかったの?お代は?」

『悪魔に魂を売った』
『嘘、35万円』

男「結構したね。
  じゃあ、かなり良くなったの?」

『何でも見えるよ
でも、光って過去だから。
100km先は100km光年分、昔の景色が見えてるだけ
遠くを見れば見るほど過去の出来事で
そこには一生辿り着けない』

男「それが普通だよ。眼の慣れないうちは不便かもしれないけど」

『幽霊みたい』
『周りの景色が鮮やかで
 残像ばかり追いかけてる』
『眼では見えても介入出来ないの』
『私に意思はあるのに』
『死後の世界みたい』

男「それってさっきの当てつけ?」

『知ってる?
 光の速さを超えれば過去に戻れるって』

男「今の科学じゃ無理だよ」

『でも科学の推測でしょ』

男「その時には地球は終わってるよ」

『説明して』

男「可能性があるとしたら、地球の熱が冷えきって、星としての寿命が終わる時、
 膨張していた空間が、始まりの点に向かって収斂する。
 仮定だけど、その時、おそらく時間が巻き戻り始める」

『超新星爆発のこと?』

男「灰から老人が生まれ、赤ん坊がお腹の中に戻っていく。
 でもそこに新しい動きが加えられるとは限らないし、
 どのみち記憶の逆再生に過ぎないかもね」

『今が記憶の逆再生ってことは?』

男「どういうこと?」

『私たちは過ごした時間を巻き戻している。既に終わった会話を何度も繰り返してるの。気付かないまま』

・・・

男「どうだろう」

『未来が見えないの』

男「…そんなの誰にも見えないよ」

『前は見えてた』

男「この話はおしまい」

『どうして?』

男「現実味がないから」


男 「…そんな眼で見るなよ」

『あなたが眩しかった』
『だから自分の眼を焼いたの』

男「レーザーで?」

『創造のための破壊』

男「は?」

『宇宙の法則の話、さっきしてたでしょう?』
『未来が想像できないなら、一度壊すしかない』

男「何が言いたいの?」

『あなたは存在しない
過去の記憶ってだけ』

『わたしはもう、目玉焼きのことしか考えられない』

男「そうして彼女は目玉焼きの目に穴を開け、溢れ出す黄色い液体をぐるぐるとかき混ぜた。彼女の放った色は、眼の玉を中心に薬を打たれた瞳孔のように広がっていった」

・・・



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