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Peace of Mind

TwitterとInstagramで、突然フォロィーのご家族(ご遺族)から 、訃報の書き込みを頂くという経験をしたことがある。

読み返してみると、フォロィーは、つい数日前までは何事もなくツイートや画像をアップしていたので、その突然の死に愕然とするという経験をされた方も多いのではと思う。
そういうことからして、死は本当に突然来ることは明白だ。

私もそうだけど、大病をしたことがある人は、少なからず自分の最期を考えたことがあると思う。

テレビドラマのように、家族や友人に囲まれて息を引き取るというのは、殆どいないと医師である義弟が言う。
それくらいに、突然幕が降ろされるんだろうなと思う。

よく人生をマラソンに喩える人がいるけど、私にはしっくりこない喩えだった。
もっと、声を挙げて絶叫したくなるような、いや、声も出ないくらいの一瞬のような衝撃だらけの道のりなんじゃないかなと。
私の個人的な感覚からすると、「肝試し」の暗闇から直球で降ろされるオブジェ(この場合、オブジェが何かは問題ない)との戦いみたいな道のり。

日頃、心配が服を着ている私は、この肝試しに対して、どうやって備えればよいのかと更に心配度を上げていたのだが、9月半ばの緊急入院で、その予行練習が出来たと思う。私が急に居なくなっても、我が家はしっかりと回ったことに、心から安堵したからだ。

そりゃあ、現実から私が居なくなるんだもの、回るに決まっているんだけど、リアルライフを見届けて、心配の種が消えたことは何とも晴れがましい。

今回の入院中に、医療用の遺書を更新したのだけど、2年前に作成した時は、胃ろうに〇印を付けていた箇所を✖にした。
癌の再発も関係しているけど、嚥下が困難になったら回復しない気がするからだ。

心臓マッサージは✖だったけど、夫に確認したら「10分間でいいから蘇生して欲しい」と。なので「じゃぁ10分間だけよ!あとは逝かせてね」と確認した。

痛み止めも要らないと思ったけど、苦しむ姿は残された家族の辛い思い出になるので、痛み止めは受けた方がいいと係りの人から助言を貰ったので、そこは〇に変更した。


入院すると、この書類は用意していあるかと聞かれます!

それにサインをして Notary Publicと呼ばれる公証人のサインを貰った。
これが入院中に出来てホッとした。

私は、自分の死を自分で見届ける作業が欲しかったのだ。
それは恐らく、虐待された日々の繕いをしするような行為だと思う。
上手く言えないけど・・・。


◆◆◆

今回の入院は、医療保険屋がうるさいアメリカでは珍しく2週間だった。
卵巣&子宮摘出の時だって、僅か2泊しかさせて貰えなかったのに、2週間なんて1ペイチェック=給与小切手がパァだ!
(アメリカでは通常給与が2週間に一度出る)

その間に、生命保険屋さんにも連絡して、子供たちのがん保険加入を申請した。実際には癌だけではなくCritical illness insuranceと呼ばれる、致命的な病気や症状に適応できる保険に入れた。
(支払いは、私たち夫婦が死んだ後にもトラスティーというファンドから支払える)

夫の両親も癌だったし、私も、私の祖父も癌だったことを考えると、何で子供たちへの遺伝を考えなかったのだろう、自分のノンビリ加減に慌てた。

生命保険は、アメリカでは貯蓄と同等の感覚なこともあって、二十歳のお祝いにと加入したが、そこに病気保険が加えられた。
(生命保険は、一日でも加入日が早い方が掛け金が安くなる)

そして、私の生命保険金の受取人を変更したり、結婚した娘の苗字変更などあれこれ。

コロナで見舞客も無いので、やることもない病室でこれらのことを整理できたのは本当に良かった。

目の前の雲が晴れるくらい嬉しくて、家庭内引っ越し中だけど、そのことを書き留めておきたくてアップしました。

いつ死んでもOKみたいな感覚。
や、まだ治療は受けるけどwww


作業に戻ります=3