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秘密の選択~「高校教師⑦」

冷房を気遣ってくれる米倉に、大人と付き合うとはどういうことかを改めて知った。
返事をしようと横を見ると、米倉の眼差しがすぐそこにあって戸惑った。
それは、米倉の車に乗った時にも感じたことだ。
いや、ロージナで向かい合うようになった時から、次第に縮まる距離を意識しては、学校では見せない顔をお互いが見せ始めていた。

リリ子は米倉に、寒くはないと伝えようとした時に、会場の照明が開演5分前の合図として点滅した。

「さ、始まるぞ!」

米倉はそう言うと、リリ子の腕を少し強く掴んでから、その熱い手を離した。リリ子は、持って来た薄手のカーディガンを少し持ち上げて米倉に合図をした。

(私は大人として扱われているのだわ)

そう思うと、米倉ファンの親友の範子に悪いと思いながら、明日、範子たちが行く江の島が急に幼稚に思えて来た。

母に監視される毎日に、皆と同じような青春などある筈がない。ならば、私は私の階段を登ろう。それは危うさを秘めた背徳の匂いがした。


「人生は選択の連続だ!」

舞台から聞こえるセリフにハッとした。
生きるか死ぬかなんて、それは究極な選択だが、小さな選択は毎日あった。

進路指導から米倉に小論文をみて貰うことになったのも、そこからロージナでの逢瀬が続いたことも、今こうして米倉の誘いを断らずに観劇していることも、全てが自分が選んだ結果だと思っている。
それが、結果的には母親の支配から逃れるためではあったとしても。

早く大人になって、早く家を出る。それしか自分が自分らしく生きる術がないと思っていた。
米倉を、教師として尊敬していることに間違いはない。
今、こうして肩を並べている米倉が、果たして自分を窮屈な毎日から救い出してくれるだろうか?

まだ18歳のリリ子には、大人になるための階段を何段昇ればいいのか、見当がつかなかった。


会場が明るくなった。
あれやこれやと物思いに耽っていたせいか、ストーリーは正直頭に入らなかったが、誘ってくれた米倉に感想を伝えるために、照明や衣装のことなど、直に舞台を観られる醍醐味を語った。

米倉は、それは良かったと満足してくれたようだが、米倉は米倉で、今後リリ子との付き合い方に関して、心の内をどう話すか逡巡していた。


車に乗り込むと、既に9時を過ぎていたここともあって、米倉は近くのファミリーレストランに向けて車を走らせた。

リリ子に車に待っているように言うと、米倉はレストラン内をチェックしに行った。

戻って来た米倉は、「ここなら大丈夫だ」と言ってリリ子を案内した。
後で判ったことだが、ファミリーレストランでは、バイトをしている生徒と出くわすことが度々あったからだった。

(そうか、私たちは秘密の間柄なんだ)

リリ子は、秘密めいた米倉との関係を、なんだかスリリングで楽しく思ってしまった。それは、母親の束縛とそれほど変わらないことなど想像もしないで。


米倉は出された水を飲むと、緊張した面持ちでリリ子に切り出した。

「これからのことだが、正式にお前と、いやリリ子さんと付き合いたいと考えている。どうだろう、受け入れてくれるだろうか?」

リリ子は飲もうとしていた水を一旦置くと、両手を膝に揃えて背筋を伸ばした。

(これも選択だわ。大人への階段の・・・)

秘密めいたことというのは、どうしてこんなにも魅力的なのだろう。

リリ子は、範子や仲間のことも、ちょっと気の合う斎藤君のことも、全て忘れて大きく頷いていた。
(つづく)


※事実を元にしたフィクションです。
人物や固有名詞は全て仮名です。
同じ名称があれば、それは偶然ですのでご了承ください。