「没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―」展@サントリー美術館、の巻
出光美術館の『物、ものを呼ぶ』展の続きのような気持ちで、サントリー美術館で『英一蝶』展を見てきました。
英一蝶ってどんな人?
英一蝶は、元禄期の江戸の狩野派の絵師です。
特筆すべきは、約10年間、遠島流罪になっていたという経歴。
なんでも「生類憐れみの令」の風刺に関わったという疑いで三宅島に送られたそうで、その経歴の異色さに目を引かれます。
さらに吉原で「幇間(たいこもち)」(しかも売れっ子の)をやっていたり、はたまた俳諧のスーパースター松尾芭蕉とその弟子でこちらもスーパスター宝井其角と交流を持ち自らも俳句を詠んだりする。
なんというか、江戸の芸能界で絵も描けて芸人もできて俳句もできる・・・今だったら「プレバト」の千原ジュニアさん的立ち位置なんじゃ?wと、そんな感じの人です。
本人としては多分、「狩野派の絵師」であることを最期まで誇りに思っていたようです。
それは、わかる。
だって・・・問答無用に上手いですもの。
英一蝶も「この手に描けぬものなし」な人
まず、筆の線が軽やかで巧み。
一本の線がもうスタイリッシュ。
この線を出すために、どれほどの修行や鍛錬の期間を必要としたのか。
いや、そもそもこの人天才なんじゃ?
かつて、同じくサントリー美術館で『河鍋暁斎「この手に描けぬものなし」』展を見たことがありますが、この英一蝶だって「この手に描けぬものなし」の人ですよ。
殊に驚くべきは、流罪となって三宅島にいたときにオーダーを受けて「記憶で」描いた『吉原風俗図巻』です。
船で吉原に到着するところが最初の絵で、左に進むにつれ、見るものが吉原の中へと誘われていきます。
吉原の大通には人々が行き交い、店の中には遊女を格子越しに選んでいる二本差し(武士)がいる。
更に左の場面に進むと店の中に入っていき、見れば、別の遊女に自分の客を取られた遊女が今にも諍いを起こさんばかりに、御簾をめくりあげている。
店先には、後朝の別れを惜しむ客と遊女が視線を交わす様子が描かれ、また化粧を直したり歌舞音曲のお稽古に励む遊女もいる。
その更に店の奥には、布団の上でしどけなく三味線を弾いている遊女もいれば、今にも帰ろうとする客を嘘泣きで引き留めようと演技する遊女がいる。
これ、記憶で全部描いたんですか?
いくら幇間として吉原に入り浸っていたからと言って、こんなに生き生きと活写できるものなのかしら。
そういえば、出光美術館で見た『四季日待図巻』(重要文化財)。
あれは前夜から身を清めて朝日を待つという神事を描いたものだったけれど、あれもまた人々の華やいだ様子を、その場で写生したかのような勢いでかいた楽しい作品だったなぁ。
あれもまた、島一蝶(※流刑地で英一蝶が描いた作品は特に「島一蝶」と呼び、カテゴライズされるそうです)だった。
英一蝶ってもしかして、カメラアイ(瞬間記憶能力)の持ち主だったんじゃ・・・?
そんな憶測が走るほどの見事な作品でした。
風俗画、仏画、狩野派伝統画・・・
英一蝶は風俗画が面白いのですが、やっぱり狩野派でアカデミックな技法をみっちり仕込まれているので、こんな絵も描けちゃいます。
これ、ひとりひとりの顔が違うんですよ・・・一蝶、恐ろしい子w
装束の細やかさ、書き込みの多さ。
伸びやかな線で動的な表現ができる一方で、細密画のような絵も描ける、この多彩さ。
一蝶、かっこいい!
遠島流罪10年、之一睡の胡蝶之夢
10年間流罪の憂き目に遭っていたとき、一蝶は依頼を受けた風俗画の他に仏画を多数手がけていたのだそうです。
その仏画は、流罪になっていた三宅島だけでなく、その周辺の島々に島一蝶として大切に保管されています。
現代のように寿命が長くなっているならともかく、江戸時代の人たちの10年ですから、永遠とも言える長さに感じられたのではないでしょうか。
綱吉が亡くなり、生類憐れみの令が取り下げられ、恩赦として江戸に戻ったあとに、英一蝶は「胡蝶の夢」からとって雅号を「一蝶」としたのだそうです。
江戸に帰ってきて、島にいた夢から覚めたのでしょうか。
音声ガイドは、講談師の神田白山さん。
途中、15分程度の講談も聞けます。お得です。
ゆっくり時間をかけて聞いてみると良いのではないかと思います。