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いなかへじの笛

『枕草子』で主上(一条天皇)が登場する段、とりわけ少年時代の話には、どこかほのぼの感が漂う。

清少納言にとって直属の主人である中宮定子については「すばらしい」「素敵だ」と絶賛し、数々の機知に富んだエピソードや、身に余る心遣いや厚情を綴りながらも、大人どうしの人間関係ならではの緊張感が文章の端々からうかがえる。

一方帝に対しては、何の衒いもなく、ただ純粋に「すばらしい」と讃えている。

もちろん天皇だから、この世で最も高貴な、この国を統べるお方だから…という思いが第一だろうが、畏れ多くも「年端もいかなかった親戚の男の子が立派な貴公子に育っていく嬉しさ」という感覚もあったのではなかろうか。清少納言のもともとの身分ではお目通りさえかなわなかった少年が、麗しくお育ちになる、その一部始終を見届けられた…女房勤めならではの醍醐味だったであろう。


華麗にスルーする次姉

主上は幼い頃から龍笛の才能を発揮していた。990年に元服して、その報告のため普段は離れて暮らしていた父・円融院のもとを訪れた際も笛の演奏を披露して、父から皇室伝来の赤笛を贈られたという。

主上は最も愛用している龍笛に「いなかへじ」(いや、取り替えない)という名前をつけていた。現代人ならば愛用のギターに「これは俺のギターだ。誰にも譲らねえ」と書くようなものか。

この件に言及している段「無名といふ琵琶の御琴を」(石田穰二訳注「新版枕草子」89段、松尾聰・永井和子訳注「能因本枕草子」97段)では、主上所蔵の笛の名として「水竜、小水竜、釘打、葉二(はふたつ)」と例をあげているが、これらはその時点において”昔からある名前”で、それぞれ謂れが伝えられている。対して「いなかへじ」は主上の思し召しである。

中宮は、まだあどけなさが残る主上が「これ、一番いい音が出るから、朕の笛。誰にも取り替えさせない。」と名前をつけたので、大ウケにウケたのだろう。それをずっと覚えていたとみられる。

「無名という琵琶の御琴を」の段ではそれから数年過ぎて、中宮が職曹司に移った頃の出来事をメインに綴っている。ここでは、某ドラマにおいて存在そのものを抹消された、定子の弟妹が登場する。

ある時、淑景舎(しけいさ、現代読みではしけいしゃ。道隆次女の藤原原子。居貞親王女御)が訪ねてきて、姉の中宮とおしゃべりしたついでに

「私のところには、たいそう見事な笙の笛があります。亡くなられた父上(道隆)が私にくだされたものでした。」

と話した。それを聞いた隆円(隆家の実弟。当時の貴族社会慣習により、子供の頃に正式出家して僧侶となっていた)が

「それを、隆円にお譲りくださいませぬか。拙僧のもとには、すばらしい琴があります。それとお取替えください。」

とねだる。
しかし、淑景舎はガン無視しておしゃべりを続ける。隆円は何とか返事をもらおうと、幾度もその話を繰り返すが、なおも華麗にスルーされ続ける。

とうとう、長姉の中宮が

「いなかへじ、と思っておいでなのに。」

とひと言。

「原子は、取り替えるつもりなんか全然ないのでしょ。いい加減にしてちょうだい、隆円。」

とたしなめる意味である。中宮はかつて主上が笛に「いなかへじ」と名付けたことを思い出しながら弟にダメ出ししたのだろうが、隆円はそれを知らないから、納得がいかなかった様子だ…と記録されている。それでも、最終的にはあきらめざるを得なかったのだろう。淑景舎にとってその笛は、父の形見であり、何かと兄姉を優先されて育ってきた彼女にとって、父親の愛情を思い起こさせる唯一の物だったと想像できる。中宮は妹のその思いが、手にとるようにわかっていたのだろう。

また、居貞親王の女御ならば、日頃そう構ってもらえなかったとも想像できる。中宮は、「自分はお上の寵愛があるからまだ暮らしていけるけれど、妹は後ろ盾もなく、東宮の寵愛も覚束ない境遇で、どれほど淋しい思いをしているか」と案じていただろう。対して隆円は僧侶として育てられているので、姉弟とはいえ、住む世界が既に違っている。父の形見に対する受け止め方にずれが生じていることを承知した上で、隆円に淑景舎の心境を慮るよう指導した、と解釈している。

主上はこの場に直接関与していないが、清少納言が主上の少年らしい発想を微笑ましく思っていたからこそ、後年『枕草子』のネタとして思いついたのだろう。

明王の朝、午前3時

「大納言殿まゐりたまひて」(「新版枕草子」297段、「能因本枕草子」292段)は、よく知られている章段だろう。

主上の教育は母方祖父の高階成忠が受け持っていたが、藤原伊周が成長すると、彼が漢詩文の講義をすることも増えた。いつも夜遅くまで熱心に授業をしていたという。

ある夜、伊周の授業中、女房たちが「もう寝るわ」と、ひとりふたりと引き上げていくが、清少納言は最後まで眠気を辛抱して侍っていた。「丑四つ」(午前2時30分~3時ごろ)と時を奏する声が聞こえてくる。清少納言は半ば眠っていたのだろう、「夜も明けたようでございます」とつぶやく。(実際はまだ暗い時間帯。)

清少納言は間違えて言ったとすぐに気がついたが、その独り言が伊周に聞こえていたようで、ごまかしようがない。

「今さらに、な大殿籠りおはしましそ。」
(今さら、お眠りなされますな。)

だが主上は既に疲れて、柱に寄りかかって寝落ちしている。伊周はそれを見て

「かれ見たてまつらせたまへ。今は明けぬるに、かう大殿籠るべきかは。」
(あれをご覧なされませ。もう夜も明けているのに、こうしてお休みになられてよろしいのでしょうか。)

と、傍で見ている中宮にジョークをかます。自分はまだまだいけるのに、主上はもうお力が尽きてしまわれたのか、という体育会系的根性がうかがえる。

この夜、内裏では長女(おさめ)の召使の童女が鶏を保管していた。彼女は、夜が明けたら鶏を里に持ち帰る心づもりだった。

しかし、ある犬がその鶏を見つけて追いかけはじめる。鶏は廊の先まで逃げていって、けたたましい鳴き声をあげる。冗談のつもりで言った「今は明けぬるに」に、リアリティが出てしまった。

女房たちも主上も、驚いて目を覚ます。主上は下問する。

「いかでありつる鶏ぞ。」(どうして迷い込んだ鶏なのか)

それを受けて伊周は『和漢朗詠集』の漢詩を高らかに吟じる。

鶏人暁唱 声驚明王眠
鳧鐘夜鳴 響徹暗天聴

(鶏人暁に唱ふ、声明王の眠りを驚かす
鳧鐘夜鳴る、響き暗天の聴に徹る)

清少納言はこの一件ですっかり目が覚め、主上は「今、まさにぴったりの吟詠だ」と、中宮と一緒に喜んだ。

この出来事はもちろん伊周が失脚する前、993年~994年ごろのことと考えられている。帝は13~14歳、伊周は19~20歳。体力も体格も、かなり差があっただろう。

清少納言は、主上に対する伊周のスパルタ式教育を半ば微笑ましく、半ば心配して見守っていたのではないか。まさしく「近所のおばちゃん目線」である。

自分の意識が混濁していた時の間違いに端を発して、疲れて寝ていた主上が目を覚まし、伊周はその場に合った漢詩を読み上げて、日々常に勉強であると主上に教える。清少納言にとっては忘れがたい思い出であっただろう。

「円融院の御果の年」(「新版枕草子」133段、「能因本枕草子」141段)にも、少年時代の主上の様子が生き生きと描かれている。主上は、乳母の藤原繁子(藤三位)にいたずらを仕掛けるべく、わざと年老いた法師風の筆跡で文を2通作り、そのうち1通を繁子のもとに送った。それを読んだ繁子が驚いて参上してきたら、主上は保管していたもう1通の文を見せて種明かしをした、という話である。以前の記事でも言及したが、これは清少納言が出仕する前の出来事である。清少納言は主上から直々にこの思い出話を聞いて、「何と可愛らしい!」と目を細め、後年『枕草子』に書いたのだろう。それこそ苦境に陥った中宮に、「こんな楽しいことがありましたね」と語る目的だったかもしれない。

「翁丸」は比喩か?

対して、完全に大人になってからの主上については、「素晴らしく麗しい帝」のイメージから逸脱しそうな話も取り上げられている。「上にさぶらふ御猫は」(「新版枕草子」6段、「能因本枕草子」7段)は有名なエピソードである。

主上は大変な愛猫家で、999年9月に生まれた子猫を五位に叙して「命婦のおとど」と名付け、人間の乳母(世話係)「馬命婦」をつけたという。この猫物・人物は『小右記』にも記録されている。それによれば、人間並みに「産養」(うぶやしない)の儀式が執り行われ、女院(東三条院)や右大臣・左大臣も参列したという。小野宮実資はさすがに呆れて「奇怪之事」と記した。あの左大臣がアホな儀式にシレッとつきあっていたとは。

ここまでは実際の出来事だが、『枕草子』の叙述はどこか謎めいている。翌1000年春、命婦のおとどが縁側で寝ていると馬命婦が見とがめて、室内に入るように促す。しかし命婦のおとどは言うことを聞かない。そこで馬命婦は普段内裏に出入りしている犬の「翁丸」をけしかけて、命婦のおとどを脅かそうとする。犬の出現に驚いた命婦のおとどは御簾の中に逃げ込むが、それを主上がご覧になっていた。

主上の命により、翁丸は罰として蔵人二人にひどく打たれた上、島流しに処された。馬命婦はクビになった。

その後、清少納言が弱っている翁丸を見つけたが、返事もしないし餌も食べない。しかし翌日、帝づきの女房が翁丸の名前を呼ぶと反応した。蔵人は「検分しましょう」と息巻いたが、清少納言はきっぱり断り、翁丸を守った。その後翁丸は罪を赦された。

この段を載せている教科書もあるようで、「一条天皇は犬を叩かせるひどい人だ」という印象を抱いた人もいるという。しかし、これを読んでいて、どこかで聞いた話に似ていると勘づかないだろうか。

そう、「長徳の変」である。
すなわち、この話は長徳の変を動物になぞらえる形で綴ったもので、翁丸はこの事件でひどい嫌疑をかけられて失脚していった人物の比喩であるとも考えられる。

この話は『枕草子』のはじめの方に載っている。「春はあけぼの、夏は夜」「ころは、正月、三月…」と、季節の移ろいや宮中行事の描写から始めて、「思はぬ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ」の記事、中宮出御先の平生昌(たいらのなりまさ)の気の効かなさをあげつらう記事の次である。

清少納言にしてみれば…
まず、これまでの漢籍にも和歌集にも物語にもない、斬新で高度に文学的な描写の散文で読者を驚嘆させ、そのハートをぐっとつかむ。

続いて、今は亡き皇后が平生昌邸でどれほど惨めな扱いを受けていたかを告発する。さらに、なぜ皇后さまが斯様な目に遭わなければならなかったか、その端緒となった事件について、主上の猫好きにヒントを得て、動物を主役にした物語風に綴る。その後は節句の日の天候イメージの話や類聚段につなげて、あまり深読みをさせないように読者の注意を誘導する。清少納言の筆は変幻自在、実に高度な作戦である。そう考えていくと「思はぬ子を法師に…」の段も、また別の意味合いを帯びてくる。

翁丸の話で、清少納言はあえて主上を悪役的に描いた。裁きの判断をお間違えになられたと、暗に指摘している。これが書かれた時点で、主上は彰子と暮らしていただろう。実質的な後妻である彰子とはなかなか打ち解けず、常に気まずい空気感が漂っていたと伝えられている。

清少納言は、ただ主上に昔を懐かしんでもらうだけでなく、「お上、もう道をお間違えになられませぬよう。脩子さま、敦康さまの御ためにも。宮さまに代わって、見守り申し上げます。」と、主上に伝えたかったのではないか。

これまでの『枕草子』研究では、翁丸事件を実際にあったできごとと位置づけて、配流先の「犬島」はどこにあたるかなど詳しく調べていたようだが、もし”隠れ物語”だとすれば、その必要はなくなってしまう。

悲しき高砂

「一条の院をば、今内裏とぞ言ふ。」(「新版枕草子」230段、「能因本枕草子」241段)では、主上が笛の師としている高遠の兵部卿との合奏で「高砂」という曲を繰り返し吹いている様子が綴られている。清少納言はじめ大勢の女房たちが御簾の側まで近寄り、感無量の面持ちで耳を傾けている。時は1000年2月20日、春の陽射しがうらうらとのどかな日だった。

「高砂」は現代知られている謡曲ではない。この時代からおよそ400年後に世阿弥が作っている。ここで言う「高砂」は催馬楽と言われる俗謡であった。

高砂の さいささごの 高砂の
尾上に立てる 白玉 玉椿 玉柳
それもがと さむ ましもがと ましもがと
練緒さみ緒の みぞかけにせむ 玉柳
何しかも さ 何しかも 何しかも
心もまたいけむ 百合花の さ 百合花の
今朝咲いたる 初花に あはましものの さゆり花の

石田穰二訳注「新版枕草子」より

播磨高砂・尾上はこの時代既に有名だったのだろうか。調べてみたら円融朝の970年代に疫病が流行した際、高砂神社でスサノオノミコトとクシイナダヒメノミコトを祀ったらすぐに終息したので、多くの人がお礼参りに訪れたという。催馬楽の「高砂」は、その流行に乗ってどこからともなく歌われはじめ、やがて主上の耳にも入ったのだろうか。

この頃「すけただ」という蔵人がいた。ひどく粗暴な態度を取るので、殿上人や女房たちはおちょくるような俗謡を作って遊んでいた。主上は早速、その曲も笛で演奏するようになった。普段は「気づかれたらまずい」と控えめに吹いているが、この日は中宮のもとに渡御しているので、すけただに聴かれる心配はないと、高らかに吹いたという。

清少納言の目には、主上が少年の頃のお茶目で愉快なお心を取り戻したように映ったのだろう。”お世話さしあげたおばちゃん”として、とりわけ嬉しかったに違いない。

しかし、この時期の主上をとりまく環境は苛烈を極めていた。999年6月14日、内裏が火災に遭い全焼する。主上は2日後、一条大宮院に移られた。「今内裏」とはこの仮御所を指す。

10月に入ると彰子入内の準備が進む。藤原公任・行成らが4尺の屏風に歌を詠む。11月1日彰子入内、7日に女御となる。同日、敦康親王ご誕生。

彰子はしばらく内裏に滞在していたが、1000年2月10日一旦出御する。主上はすかさず中宮を呼び寄せ、2月12日今内裏に参入する。2月18日、敦康親王百日の儀が執り行われる。

主上が笛で「高砂」を演奏した日は、百日の儀が済んで、多忙なスケジュールから解放されたオフの日にあたる。主上にとって貴重な一家団欒の機会でもあった。『枕草子』では言及されていないが、子供2人も一緒だったはずである。

この後、2月25日に定子皇后、彰子中宮と改められる。3月27日、皇后は再び平生昌邸に移り、4月7日に彰子が参内する。皇后は第3子を懐妊したが、次第に体調がすぐれなくなった…

という経緯に思いを馳せると、清少納言がいかなる心境でこの段を綴ったか、胸が締め付けられる思いがする。清少納言にとって「高砂」は、その歌詞とは裏腹に、生涯忘れ得ぬ悲しく美しい思い出の音曲となっただろう。あふれる涙を拭いながら筆を進める姿さえ想像できる。

The long and distorting road

このところ、月曜日は朝から出かける機会が続いた。某ドラマ第25回の録画は水曜日の朝に見た。明らかに、自分の生活の中での優先順位が下がっている。

ドラマでは中宮が職曹司に移った途端、主上が入り浸りになり、政をおろそかにしはじめ、世に災いが広がったという筋書きにしている。それをRoad Length氏が諫めて世を正す…という方向に持っていくらしい。

不敬などという言葉はあまり使いたくないが、よく恥ずかしげもなく書けるもの、公共の電波に乗せられるものである。主上は今上陛下直系、実の親子関係を遡れば37代前のご先祖であることをお忘れか。そこまでしてもRoad Length氏を持ち上げたいか。何故、中宮はじめ道隆一家を貶めるのか。何がどう憎いのか。

主上がこの時期、政をおろそかにしたという事実はない。むしろ精勤したと、複数の記録が証言している。職曹司に入り浸れる環境ならば、二人ともあれほど苦労はしない。

大河ドラマとみなすから腹が立つのであり、「賢い妻に悟られぬよう、本当の思い人の存在をごまかそうとする滑稽なおじさん」を主役とする娯楽時代劇と思えばよいのかもしれないが、羊頭狗肉感はぬぐえない。古い例えで恐縮だが、「八代将軍吉宗」を見ようとしたら「暴れん坊将軍」だった、ようなものである。

今思えば、Gros rocher calme(フランス語)先生は、この時代をほとんど知らないからこそ起用されたのかもしれない。ひと通り聞きかじっていたら、書いている途中で、いくらラブストーリーを前面に出すにしても、この前提で進めていくのはどうしても無理と気づくだろうから。その意味で、Gros rocher先生もまた被害者である。…そうでもないか、今後ますます先生のご趣味丸出しの展開が予定されている。それはおそらく、一般視聴者の倫理観から大きくかけ離れている。

陰陽師風に言うならば、劇中でこれから生まれてくる、ある女の子は、脚本家によって実の父親を取り替えられてしまうだろう。それは、歴史上実在した人物の出自に関する尊厳の蹂躙である。”出家したはず”(実際には形式が整えられた出家ではない)の妃が宮中に戻ってくることとは比べ物にならないほどの由々しき事態である。

考証の先生も、Road Length氏のブリーチングは歪な試みだと、本当に気づいていないのだろうか。次亜塩素酸の臭いが漂ってきそうである。

先日の主役インタビューで「第31回まで撮影が済んで、あと17回分」とお話されていた。全48回で予定しているらしい。ということは第25回から後半となる。まさにThe long and distorting(ゆがんでいる)road、である。

本稿を公開する前に、第26回を見た。
事もあろうに、「事もあろうに」というナレーション、あれは一体何だ。前から道隆家に対する敵意丸出しのナレーションは耳障りだったが、もう辛抱ならぬ。あのアナウンサーの話す言葉は今後一切信用しないと決めた。もちろん、職務上言わされていると承知の上で。

Road Length氏長女の描写もひどすぎる。あれではまるで軽度知的障害ではないか。幼いうちに、父親の思惑でいきなり大人たちの世界に放り込まれ、緊張とストレスで何も言えなくなってしまったというのとは根本的に異なる。本当に、人の尊厳を平気で踏みにじる作劇である。

回を重ねるほど、脚本家や制作スタッフの、この時代を生きた人々に対する愛情および敬意のなさ、身勝手なストーリーを正当化させる手駒としかみなしていない冷酷さが浮き彫りになってくる。中宮を穢れの象徴であるかのように印象づける言葉の毒は、そっくりそのまま制作陣にお返ししたい。石山寺にも、考え方に問題があるとはいえ、考証の先生方にも迷惑とは思わないのか。

”裏ドラマ"構想

あるSNSを見ていたら、おすすめとして主上の少年時代を演じた子役さんのアカウントが紹介された。京都放送局8Kプラザの展示パネルを見に行ったという。

「じいじ、母上、道兼おじさん、定子の父上道隆おじさん」

と説明していて、主上から見れば確かにそうなると、改めて気づかされた。道隆おじさんに所作を教えてもらった、とも綴られている。やはり、『枕草子』で描かれている関白殿のイメージ通りである。

以前にも提案したが、同じセットで「裏ドラマ」を制作してくれないだろうか。表の世界は”なかったこと”にして。

主役 ”なぎ”、清少納言にファーストサマーウイカさん。
中宮様、主上(子役・成人)、関白殿、貴子さま、中納言隆家は同じ座組で。大納言伊周はあまりにも悪いイメージがつきすぎたから、三浦さんには申し訳ないが、新たなキャスティングもよいかも。公任、斉信など周囲の貴族役は続投。行成、女院や繁子はキャラ変の上で続投させる。

さらに、表では抹消されてしまった人物を追加でキャスティングする。高階成忠、高階明順、橘則光、淑景舎、御匣殿(みくしげどの、道隆の末娘)、隆円、藤原実方、源経房など。

この布陣で『枕草子』のエピソードに基づいた連続短編ドラマを作る。毎回、最後に中宮様とウイカさんが交替で、その回で取り上げた章段を朗読する。

せっかく受信料を出しているのだから、それくらいのことはしていただきたい。清々しい脚本を書ける人、どこかにいないだろうか。





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