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『暮しの手帖』75周年

4月に、雑誌『暮しの手帖』に関する記事をいくつか書いた。
公開すると、20前後のスキをいただいた。
目に止めてくださった皆さまにお礼を申し上げる。
同時に、この雑誌の偉大さと、社会に遺した影響力に改めて気づかされる。

amazonを見たら、昨年秋に創刊75周年記念別冊を出したという。1948年創刊だから、2023年に75周年である。

久しぶりに購入してみた。


懐かしい表紙裏

一見して花森安治編集長の筆によるとわかる、セピア色イラストの表紙。創刊号表紙絵を模す形で、後年描いたものだろうか。

表紙の裏には、花森氏によるあのメッセージが、変わらず掲載されている。

これは あなたの手帖です…

『暮しの手帖』は、創刊以来一切外部組織の広告を掲載していない。従って他誌では広告に充てられるスペースに、花森氏のメッセージが載せられる。古くからの構えの家に上がる折の、少し緊張するような、それでいてどこかあたたかで懐かしい心持ちを思い起こさせる。

最初のページとの間には、花森氏の朴訥とした味わいのイラストステッカーが綴じ込まれている。冷蔵庫を描いた絵は「憧れの暮らし」の象徴だったのだろう。

ショートボブコンビ

はじめのほうに、編集作業に勤しむ花森氏と、机の脇に立つ暮しの手帖社社長・大橋鎭子(おおはししずこ)氏(1920-2013)の写真が掲載されている。1967年8月撮影と記されているから、1世紀第91号の発行準備だろうか。

二人ともショートボブで、ほぼ同じヘアスタイル。「むやみにカタカナ語を使うな、ただのオカッパだ。」と言われそうだが。このコンビが『暮しの手帖』を90万部の雑誌にまで育て上げた。花森氏の腕の太さが印象的である。

その腕の先の武骨な手で万年筆を持ち、一心に原稿を見つめる花森氏の横顔が良い。いかにも昔の日本人というたたずまいを呈している。

一方、手元のタバコ・マッチ・灰皿には時代を感じさせられる。後述するが、『暮しの手帖』では2世紀に入るとタバコの害を特集する記事を幾度か載せている。しかしこの時代はまだ「吸って当たり前」だった。

この写真は、編集部の日常を精緻に切り取っている。当時は社内で毎日当たり前に見られる光景だったに違いない。もちろん、雑誌掲載用ではない。にもかかわらず、プロの腕前で切り取られた一瞬は、いま貴重な記録となっている。

この時花森氏が編集していたであろう第91号を改めて手に取ると、牛肉の様々な部位の写真とか、それらを使って焼いたステーキの写真とか、インテリア用色相見本とか、市販のなるとやはんぺんに残留している過酸化水素量を商品写真の上に〇X?で示し(〇は検出なし、Xは検出あり、?は定量限界以下)とりわけ多く検出された商品にはXXXをつけているレイアウトなど、幼い頃大好きだったページに再会できる。同年齢の子供の遊びなどには見向きもせず、飽きずに眺めていたことをたちどころに思い出した。

ロース・ヒレに始まり、サーロインとかランプ(rump)とかリブとか、肉の名称はこれで覚えたのだっけ。中学校の美術の授業で、作品を出すのは苦手中の苦手だったが(絶望的に下手でセンスがないと思い知らされるのもさることながら、いじめをしてくる周囲の人物に、ニヤニヤからかわれないかという恐怖心のほうが勝っていた)、色相に関するテストだけは完璧に正解できたのも、幼稚園時代にこの号を眺めていたおかげである。

学歴はなくとも

75周年記念別冊の中盤には、1959年発行の第1世紀49号掲載記事「ある日本人の暮し」に登場した、愛知県在住のご夫婦の再取材記事が載っている。「ある日本人の暮し」は、市井でつつましく暮らしている人たちを取材して、普段の生活の様子から、当面の悩み、将来の希望、人生観や社会に対する要望まで聞き取り、写真をふんだんに添えて紹介する連載ルポルタージュ記事である。花森氏がとりわけ力を注いだ企画という。

1959年の取材当時、夫(30歳)は国鉄稲沢第一機関区の機関士。東海道本線は既に全線電化されていたが、機関区内の貨車入れ替え作業などは、まだ蒸気機関車を使用していた。

妻(26歳)は国労で働いていて、結婚後も仕事を続けるつもりだったが、夜勤のある夫と生活時間が合わないため、図らずも退職して専業主婦となった。ゆえに、花森氏がつけた記事タイトルは「共かせぎ落第の記」。

オリジナルの記事に目を通すと、バラエティ豊かな写真群に目を奪われる。市営住宅で家事をする様子、枕元で読書している姿のクローズアップ、職場の光景など。夫は仕事、妻は家庭と、形こそ”世間並”になったが、妻が主婦業に勤しみながらふと垣間見せる「仕事を辞めた悔い」の表情を、取材者は見逃さない。

深夜、夜勤に出かける夫の後ろ姿とか、乗務している蒸気機関車の脇を大阪発東京行き特別急行電車「こだま」が駆け抜けていく瞬間のショットとか、当時のカメラやフィルムの性能を思うと、よくきれいに撮影できたものと感嘆する。『暮しの手帖』が人気を集めた理由のひとつとして、簡単に写真を撮れなかった時代に、新聞とも既存の雑誌とも異なる視点からの写真をたくさん掲載して、写真という技術の魅力と可能性を世に知らしめたこともあげられるだろう。

再取材の時、ご夫婦は80代後半に達していた。当時の思い出として、取材スタッフが実に謙虚で、尊大な態度など微塵も見せなかったと述懐している。蒸気機関車に詳しい花森氏は機関区で鋭い質問をして、熱心に話を聞いていたと語る。これこそ、現代のメディアに関わる人たちに最も欠けている心構えではないか。

昨今は、公共放送局を含む大手メディアの取材者が見せる傲岸不遜な態度や、被取材者の意図や訴えを故意にミスリードさせる編集方法などのトラブルを目にしない日のほうが珍しくなっている。「忖度」という言葉が流行語を経て日常語として定着するくらい、メディアの権力迎合があからさまになっている現況に対する、これ以上なくスマートな批判精神が読み取れる。

夫は在職中から登山に親しみ、引退後はパックパッカーとして海外を旅した。妻は地元の消費者運動に関わった。もちろん『暮しの手帖』は欠かさず購読してきた。たとえ学歴がなくとも(夫は高等小学校、妻は高校卒業)十分に知的な暮らしができている。しかし、学歴を持ち合わせていないがゆえに理不尽な思いを強いられた局面も少なくなく、子供たちには高い教育を受けさせたという。

当時のご夫婦と類似の境遇にいる今の若い人たちが望んでもかなえられない人生の歩み方だろう。その「たとえ名をなさなくとも、貧しくとも、美しく生きたいという希望の喪失」こそが、現代社会最大の宿痾と思える。

生まれた時から高い学歴が保障される境遇にいる人たちが、社会の中枢で権力を手にして、いかに頓珍漢なことを言ったりやったりして、国民の希望を奪い、顰蹙を買っているかを思うにつけ、ため息を抑えきれなくなる。

「傑作レシピ」を作ってみたら

75周年記念別冊には「『暮しの手帖』傑作レシピ」のとじ込みがある。かつて本誌に掲載されていた料理レシピを再録して、現代の観点からのアドバイスが掲載されている。以前の記事でも取り上げた「いの一番か味の素で味をととのえ」の真意についても解説されていた。

『暮しの手帖』の料理記事は「見ているだけ」だったが、たまには実際にやってみようかと思いたち、冷蔵庫に余っている鶏肉を使い「とりの味揚げ」にチャレンジ。昔買った「ねぎ油」を「ネギを包丁で押しつぶして加え」の代わりに用いた。しかし、書いてある通りに煮込んでから揚げると、肉がかなり硬くなってしまった。これでは、いつも作っている唐揚げにするほうがはるかにおいしい。

改めて読み返したら、オリジナルではクリスマスのフライドチキンに使うような、骨つきの大きな鶏肉を使っている。それならばある程度時間をかけて煮込む必要があるだろうが、最初から骨を取り、細かく切られている肉ではかえってうまみと水分が逃げてしまう。

そこで鍋に蓋をして煮込み、時間を指示の1/3程度に短縮して再び試してみた。今度はまずまずの出来だった。同じく冷蔵庫に余っているレンコンを一緒に煮て、それを揚げたらすばらしくおいしい。メインの鶏肉をしのぐほど。望外の収穫だった。

レシピでは煮込んだ後の汁について言及されていないが、そのまま流してしまうにはあまりにももったいない。鶏肉の残りと豆腐、ネギを入れて、改めて煮込みにして食べきった。

今はネットに無数の料理レシピが掲載されているが、材料の質も調理道具も、作る時の気候も、食べる人の好みもそれぞれ異なっているから、厳密に書いてある通りに作っても、かえってあて外れになることが多い。あくまで参考としてとらえ、うまくいかなければその原因を考え、自分流にカスタマイズしていく精神が必要、と解釈している。

子供の頃に見ていた『暮しの手帖』のレシピでは、1970年発行の第2世紀第7号に掲載された「ぶどうのジュース」が最も印象的だった。酸味の強い黒ぶどう「ベリーA」と砂糖をそのまま火にかけて、抽出された汁をふきんで漉し、絞らずつぶさず、引力任せにすればできるという。紫色好きの私の目には魅惑的な写真が心をとらえ、「大きくなったらやってみたい」と思った。

30数年の月日が過ぎて、いざ試してみたら異様に甘すぎた。ベリーAの質があがっていて、もともと糖度が高く、そのまま食べても十分おいしいがゆえであった。

小麦色のマーメイド

巻末には『暮しの手帖』75年の年表が掲載されている。2011年の震災の時は、誌面で震災について扱わなかったという。それを見て、賢明な判断と思った。

『暮しの手帖』を読む人は「いつも通りの暮らしの情報」を求めている。『暮しの手帖』に目を通すこと自体が豊かな暮らしの一部となっているファンも多いだろう。

震災など、それまでの経験があまりない局面において、暮らし方の工夫を一方的に発信することはベネフィットよりもリスクが上回る。被災の程度も、必要とする情報もそれぞれ違う。情報が古くなるスピードも通常時とは異なる。下手に手を突っ込むよりは、普段の暮らしの情報を変わらず提供するほうが、はるかに安心感を与えるだろう。「まるごと1冊”戦争中の暮しの記録”」の反省も生かされたように見られる。

時代は遡るが、1982年夏に発行された第2世紀79号は、こんがりと日焼けした水着姿の若者のイラストが表紙になっている。何と、藤城清治さんの筆。「小麦色のマーメイド」がヒットしていた頃で、書店に並んでいて別にどうということもない時代ではあったが、昔の教育を受けてきた読者もまだ多数健在だったはずで、失望する声も寄せられたのではないかと、余計な心配をしてしまう。

しかし、中身はあくまで硬派。1968年の「戦争中の暮しの記録」企画に応募された原稿で、当時採用できなかった16篇の手記を掲載している。フォークランド紛争が起こった頃で、編集部には先行きの危機感があったのだろう。

巻頭グラビアページでは、副流煙や受動喫煙の問題について大きく取り上げている。「商品テスト」の手法そのままに、室内喫煙環境を作り、空気中の二酸化炭素や窒素酸化物、粉塵量の経時変化を測定。部屋に居合わせた非喫煙者の血圧、心拍数、まばたき回数などの身体変化を記録している。さらに、受動喫煙や妊娠中の喫煙に関する国内外の研究発表をいくつも引用している。

この号が作られた時点で、花森氏は既に亡くなっていた。氏は長年ヘビースモーカーだったが、1969年、100号の編集中に心筋梗塞を起こし、2ヶ月ほど療養した。翌1970年、自らの後悔も交えて、初めて喫煙の害に関する記事を書き下ろしている。その遺志を継ごうという編集部の思いも含まれているのだろう。

いまの社会は、タバコを吸うのが当り前のこととなっています。やっと、学校とか病院とか、公共の場所で喫煙を制限するように、少しずつなってきています。会社ぐるみで禁煙タイムをとるところも出てきました。新幹線や飛行機などにも、わずかながら禁煙席がつくようになりました。

しかし、ここで一度考えてほしいのです。本当は、会社は喫煙タイムをとり、新幹線は喫煙席をつくるべきではなかったのかと。じつは、タバコをのまない社会こそ、当り前の社会であって、いまのタバコのみの社会はアベコベの社会ではないのかと、みんなで考えてみたいのです。

『暮しの手帖 第2世紀79号』(1982年)より

今はまさしくその通りの、新幹線に関してはそれ以上の世の中になり、この主張の正しさは歴史が証明した。しかし、この号が発売された時点で、ぜひ態度を改めてほしいと願う対象の人たちには、ほとんど見てもらえなかっただろうとも想像がつく。

編集部は20代女性の喫煙率上昇にとりわけ危機感を抱いたようで、本文ページに「女子学生とタバコ」と題する別記事をわざわざ書いている。しかし…

女の人には、子を産むという大事な役目があります。

これからお母さんになる筈のひとたちが、こんなにタバコを吸っているのは大変なことだと思うのです。

みなさんは、将来、お母さんとなる方たちです。

『暮しの手帖 第79号』(1982年)より

などと書いてしまうと、現に吸っている人をますます意固地にさせてしまいかねない。今の世の中でこのような書き方をしたら、別の観点から大ブーイングが起こるだろう。

この時代の『暮しの手帖』は、旧世代のオピニオンを代表する雑誌だった。花森氏が亡くなってからしばらくの間、大橋社長が編集長を兼ねていたという。花森氏健在の時代に書かれた記事に見られるテンポのよさ、イキのよさ、笑いを誘う渋めのユーモアが影をひそめ、「知識階級女性によるお説教雑誌」的な色彩が強まった。表紙は若者のイラストでも、誌面はあきらかに齢を重ねている。鬱陶しい母親のお説教を連想させる書き方は、果たしてどれほどの説得力を持っていただろうか。

私自身は子供の頃喘息を患っていたこともあり、タバコは一貫して天敵である。まだタバコ文化が残っている時代に社会に出て、散々嫌な思いをした。ゆえに、社会人でいるうちに禁煙をスタンダードとする世の中に変わってくれたことは、本当に嬉しい。『暮しの手帖』の主張もその変化に一役買ったかもと思うと、改めて敬意を表したくなる。ただ、なまじ正論であるがゆえに、相手を追い詰めてしまうような言い方をするのは逆効果になりかねない。

現代のSNSでも、飲食店などの少し奇抜な注意書きが話題になることがある。その投稿に、「これを見て笑える人は、既にその注意を守っている。本当に態度を改めてほしい人は、はなから見向きもしないだろう。」というコメントがつく。人の心理とはそういうものだろう。

今こそ”暮しの手帖スピリット”を!

このごろ、権力が暴走を始めている。
対外戦争が起きていなくても、人々の暮らしは少しずつ圧迫されている。具体的な戦時中ではなく、表面上は”平和”であるがゆえに、かえって厄介な面もある。

このnoteを含め、今は誰でもが発信できる時代。大きな声をあげて権力を擁護する人や、冷笑してくる人が次々現れる。メディアは巨大利権に飲み込まれ、そこから抜け出せなくなっている。明治政府が巧妙に仕掛けた「伝統的価値観」を信じ切っている高齢者も、まだ大勢健在である。

以前の記事でも書いたが、今こそ『暮しの手帖』スピリットが必要とされている。何度でも主張したい。

民主主義の<民>は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ

ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ

それがほんとうの<民主主義>だ

花森安治「見よぼくら一銭五厘の旗」より

現在発行されている『暮しの手帖』は、正直なところ、私のライフスタイルからは乖離していて、直接暮らしの役に立ちそうにない。しかし、創刊以来一貫してこの雑誌の根幹をなす考え方や物の見方は、間違いなく私の人生観・社会観の礎となっている。

せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です

花森安治「暮しの手帖表紙裏メッセージ」より













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