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ぐるぐると巡るはなし時々にゃん

自分という人間に時々絶望することがあります
私は私であって何者でもなく
ましてや何かを成し遂げることも出来ない
何かを惹き付けることも出来ない

ああ、なぜこうも自分は自分なのだろう
人生ハードモード過ぎませんか



生きてきた中の経験に
よかったな楽しかったなと思うものもあれば
大いに後悔しているものもあったり

人生ってそういうもの
みなさんそうだと思うのですが

その大いに後悔している事が
今も全てをぐるぐると回しているような感じで
自分軸で物事を回していても
時々振り回されているのではと揺らいだり

ー少し抽象的な表現を使っている為
分かりにくい所があります ご容赦くださいー

そのぐるぐるをわかりやすくトラウマと言ったりするものですが

最初は力の限り抗っていた事も
だんだんと年月日が重なっていくにつれ
抗う気力も失われて疲弊して
なるようになれって自暴自棄になって
考えないようにせわしさで防御して

不意に考えが過ぎると
全てはきっと疲れているせい、と
もうあまり向き合わずに来ました



私がマゾだった頃
理不尽な思いをした過去の経験と同じような事を
忌避するどころか心から慕う方にされたいと望むようになっていた


頭は拒否しているのに心は過去に近づいて
記憶の上書きをしようとしていたのか

崩された自分像を取り返すための
防御反応なのかと自己嫌悪に陥っていた

いっそ生命も握りつぶされたら



トラウマのようなものからくる被虐欲求は
わんわとの出会いで変化した
彼が救ってくれた

そして今わんわへの愛情は
失ったアイデンティティが持っていた欲求に近いと気づく

過去も今も自問自答が付きまとっている
私は生き直しをしたいの?


私の欲求はそれに他人を巻き込んだ
飛んだエゴである


そんなことを心の中に持っていると
時々「私とは」にぶつかる



せわしさで自分の置かれている状況に
蓋をしてきた訳ですが
そうして成長した部分はいつしか
生きがいに昇華していて
でもその生きがいの基礎は…と
時々、空虚になるのです

後悔ないようにベストを尽くした事も
もっとなりふり構わずに尽くせばよかった

死ぬ気で守りたいものを守るべきだった


そう思うようになるともう生きていたくはなくなって
死にたい、とふと言葉に出してみると
生きているから言葉を発せていることに気づくのです

言葉にしてるということは誰かに聞いてほしいということ
言葉にできるってことは生きてるということ
死にたいと言いながら生きてますという意味になって…


死にたいと思っても死ねない理性


死にたいと思いながら
昨日と同じように明日に向かう
明日のためにお風呂に入るしお腹は空く
死にたいと思いながら息を吐くし吐いては吸う
全てはstable do plan



それは生きているだけで惨めな物体のできあがりでした



こんなはずじゃなかった、って私だけじゃない
みんなそう、みんなそうなの
人生って一筋縄じゃない
そんなの当たり前なの

わかっているのにわかっていないのです


もやもやとした思いを下書きに綴っては保存を
繰り返してやり過ごしていたある日
にゃんのポストが目に入った



生きているだけで惨めと思う人を私以外で初めて見た
しかも私は生きているだけで惨めという思いを
こんなに長ったらしくめそめそと綴っていて
それもまた惨めだなと思ってたけど


にゃんはポストの中のそれもリプの中のひとことだったこの人はやっぱりすごい
さらっと流すように言葉にしててすごいと思った

しかもこの言葉はサラッと言った一言ではなく
しっかり彼女の中にある言葉だった


彼女の真意は

「生きているだけで罪とか業を感じていてー

  マゾがこんな酷いことされて惨めと呟いたり
  サドがマゾのことを惨めと言ったりしている事に
  生きてることのほうがよっぽど惨めなのになと
  違和感を感じている」とのこと


施される惨めさよりナチュラルに感じる惨めさの方がよっぽど惨めなんて

そしてそんな修行の日々を生きててすごいと思うと…

どれだけの苦難を乗り越えてきたの

どんな修行の日々をこなしてきているの

彼女の言葉に何度となく救われては気付かされている



冒頭とそれ以下は繋がっていない思考なのですが
そんなものが何かに引き連れられて
こんにちはすることがあるよね
という話でもありました

まとまりのないものをここまで読んでいただきありがとうございました



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