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海外 ーAu Pair編ー

この記事では私の二十代半ばでのアメリカのカリフォルニアでのオペアの生活についてお伝えしたいと思います。海外へ行きたいけど、金銭面的な不安がある。英語力に不安がある。といった方にオペアは最適な機会です。応募には年齢制限もあるため、比較的年齢の若い方向けの記事です。

オペアって何?

オペアとは、外国語の勉強を目的とした留学方法の一つです。滞在先のお家に住み込みでベビーシッター(ナニー)として働き、ホストファミリーからお給料をもらい、現地の語学学校やカレッジで学ぶことができるプログラムです。ホストファミリーに応じて、オペアへの希望が多少異なります。生まれたばかりの赤ちゃんから高校生まで、ニーズに応じてベビーシッターや、習い事の送迎、外国語教育などを行います。
私の場合は、小学校教員として働いていた経験から、日本語の教育を希望するホストファミリーとご縁がありました。


数あるエージェンシー

オペアのプログラムを取り扱うエージェンシーは数多くあります。エージェンシーによって、奨学金が出たり、プログラム資金(おおよそ10−30万程度)が異なったりするので、「オペア エージェンシー」で検索して自分に合うものを選ぶと良いと思います。また、各エージェンシーは説明会なども行っているので参加することで具体的なプログラムの詳細が分かります。私はオリエンテーションの機会や、教員免許保持による参加金減額の件などを鑑み、最終的にイントラックスにお世話になることにしました。

出発前の準備

私は日本語教育を希望するホストファミリーとのマッチングを希望していたものの、エージェンシーの方からは時期に応じてベビーシッターを希望するファミリーとマッチングすることもあると伝えられていました。そのため、教員を退職した年度終わり(3月)から、保育園で2−3ヶ月ほどアルバイトをしてどのファミリーともマッチングできるように備えました。
また、語学の勉強も加速し、暇があるときはシャドーイングなどをひたすらして(愛猫にも英語で話しかけながら。)アメリカでの生活を想像してモチベーションを上げていました。ホストファミリーとのマッチングは夏頃を予定していたため、6月頃からは海外の方との会話に慣れるための実践演習として、海外の方向けのレストランでウェイターとしてアルバイトをしました。(都内への通勤はしんどかった。)

詳しい英語の学習方法については以下の記事に記載しています。

さあ、出発しよう。

7月頃に日本語教育を希望するホストファミリーとマッチングすることができました。他にもいくつかのホストファミリーと話をしましたが、私は西海岸での生活を希望していたため、ホストファミリーにも希望を伝えつつ、最終的な候補を絞りました。

マッチングでは、ホストファミリーの希望に添うことも大切ですが、自分の希望を明確にすることも非常に重要です。場所選びや仕事内容は妥協しすぎないようにしましょう。

現地での仕事

8月に日本を出発し、カリフォルニアのベイエリアに降り立ちました。(空港でウェルカムボードをもって出迎えてくれたホストファミリーの笑顔と初めて食べたIn-and-Outのハンバーガーは忘れません。)ホストファミリーの子ども達は7歳と11歳で、私のメインの仕事は日本語教育でした。7歳の子は現地の日本語学校に通っていたため、毎週の宿題のサポートや本の読み聞かせ、11歳の子には私が学習計画を立てて日本から持ち込んだ教材で国語を教えていました。

現地では、エージェンシーのサポートの方がつくので、日常の困りごとを相談したり、地域イベントに参加したりすることもできました。初めの一週間はシフトの確認をしながら仕事の流れをホストファミリーにサポートしてもらいながら行いました。

日本語教育以外の仕事として、日常の家事も行いました。ホストペアレンツは共働きの忙しい家庭だったため、お弁当作りや子どもたちの学校や習い事の送迎は私が行っていました。以下はオペアの大まかなスケジュールです。

06:45 起床
07:00 洗濯物、子ども達を起こす
07:20 お弁当作り
08:15 子ども達の学校へのお見送り
08:30 朝食、準備
09:30 通学
10:00 コミカレ授業
12:30 自習&ランチ
14:00 帰宅
14:30 子ども達のお迎え
15:30 習い事送迎&日本語学習時間
17:30 子ども達のお迎え
18:00 夕食手伝い、子ども達と会話
20:00 学校の準備の手伝いなど
20:30 読み聞かせ
21:00 フリータイム

現地の学校

アメリカに来てから早々に行ったのは現地の学校選びです。英語を学ぶ手段はいくつかあり、語学学校や近くの図書館などの公共施設でも英語のクラス(無料のものも)ありました。私は、とりあえず見つけたものには足を運んでみて、どんな感じか体験してから決めることにしました。コミカレに関しては、ESLのクラスの授業は学期ごとに数百ドル1単位から受けられるので、子ども達が学校に行っている時間のクラスを選んで、文法やライティングの授業を取りました。

オペアには学校への通学手段が与えられます。私はホストファミリーが貸してくれた車を使って(最初の運転は怖かった。)日中学校へ通っていました。

ESLの授業は海外の学生向けということもあり、ほとんど全員が英語を第二言語として学ぶ学生でした。学校ではアメリカ人の友達を作る予定だったので、「友達作れないじゃん。」と最初は肩を落としましたが、これらの授業のお陰で英語でのエッセイの書き方や文法をみっちり学習することができ、結果として大変有意義な時間となりました。毎回の授業では「必ず授業で一回は発言する。」のを目標として参加しました。最初に発言を試みたときは胸がドクドク高鳴って頓珍漢なことを言ったり、他の学生の発言に返事ができなかったりして微妙な空気が流れることがありました(苦笑)。しかし、それも続けることで、いい意味で失敗に慣れて発言力がつきました。

ただ発言をすれば良いというわけではなく、もちろん発言内容も重要ですが、アメリカでは特に発言をしないと「受け身なだけ」とあまりいい印象を生みません。何か言うことで、それに対する反応が何かしら返ってくるので、分かりきっていることでもあえて聞いてみるなど、会話のきっかけを作ることで、会話力の向上だけでなく相手への印象も強化できます。

また、授業以外にも、日本語のクラスのボランティアをするなどして、アメリカの方々との交流を図りました。アメリカでは特に、「やってみたい」ということに対して前向きな方が多いので、ボランティアなども教授に直接コンタクトを取るなど、とりあえずやってみると反応が返ってくる場合が多いです。(もちろん断られることもあるので、ナンバーゲームなところはあります。)

オペアのプログラムは最長2年で、私は1年半滞在を希望していたため、1年目の前半はESLなどのクラスを中心に、後半は興味のある通常授業を選んで現地の学生の中に紛れ込むなど、徐々に難易度を上げていきました。

習うより、慣れろ。

最初にアメリカに来た頃は、何もかもが新しく、「家がでかい!」「バケツみたいなアイスクリームが売っている!」と感動の嵐でした。新しい世界に飛び込みたい、と思ってきた自分にとって、日本以外の国の生活に足を踏み入れることができたことは本当に幸いなことでした。

海外に飛び出すときに、通常皆が体験するのはカルチャーショックです。その段階には4区分あり、初めは1Honeymoon/何もかも海外が素晴らしいと思う・2Rejection/海外の全てに不満を感じる・3Adjustment/だんだんと適応してくる・4Acceptance/両国の良さを受け入れる、という風に最初の頃は満足と不満が入り混じりやすいようです。

私も日本のお風呂が恋しくなったり、アメリカの不便さに腹を立てたりと、満足と不満がせめぎ合う時期もありました。車をぶつけられたり、授業料を間違って請求されたりと、理不尽なことや困難にぶつかったときは特に不満が大きくなることもありました。ただ、これらを経験して思うことは、アメリカの良い面と改善面の両方を知ることの重要性です。日本も同様であるように、海外だからといって、全てが良く自分に合うわけではありません。私は、そういった違和感に直面したときが自分を見つめ直すチャンスだと思っています。「なぜ自分は海外に飛び出したいと思ったのか?」「ここにいたいと思う理由は?」「好きなことは?」「嫌いなことは?」こういった質問に、すぐには答えは出ないかもしれません。もし、慣れることができなくて、もしくは好きになれなくて、日本の方が合っていると思うなら、帰ればいい。もしくは、段々と慣れてきて楽しくなる可能性もある。色々と自問自答をしながら模索と反省を繰り返すことで、自分の行きたい方向に軌道修正をかけながら、道を歩んでいくことが(パワーアップしながら!)できると思います。

アメリカは正直言って不便です。日本のように素晴らしい顧客サービスはないし、レストランは選ばないと美味しくないくせに高い。温泉も無ければ、自動販売機もありません。それでも、私はこのオペアの機会を通して、アメリカに戻ってきたいという強い思いを新たにしました。

帰国と決意。

私の1年半のプログラムもあっという間に時を迎え、後ろ髪を引かれる思いで帰国しました。通常帰国すると逆カルチャーショックと呼ばれる、他国を母国のように感じ、本来の母国の文化や環境に強い違和感を感じることがあります。私もこれを経験しながら日本でぼやっとした数ヶ月を過ごしました。

この頃、アメリカへの思いはありましたが、まだ社会人として未熟なことと、アメリカに戻ってやりたいことの明確性に欠けていたことから、私は英語力を活かしながら教育に携われる社会人教育のコンサルの会社に就職することにしました。そして、その数年後にアメリカの大学院を目指すこととなります。(詳細は今後別の記事にて)

この記事が、留学を考えていたり、アメリカに行きたい方へのヒントになれば幸いです。

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