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猫のうずは、天使になりました。(FIPドライタイプ)③

涙の覚悟~2020年1月半ば

うずは、じりじりとですが、悪くなっていきました。
うちに来た時から、天使のようにいい子で、人懐っこく、素直で、いつまでも人に抱かれていたがる子でした。

そんなうずですが、投薬は嫌がりました。当然です。人間でも躊躇する苦い匂いと味。それを、訳も分からず口に入れられるのですから。

いつしか、うずは投薬のときに、ぶるぶる震えるようになりました。
それだけなら、心を鬼にして、なんとかやっていたのですが。


ある時を境に、一切薬も受けつけなくなりました。
吐きませんが(吐きたそうにはする)、頭をぶんぶん振って、口に入ったものをまき散らすようになったのです。こんな痩せた小さな体のどこにそんな力があるのかというくらい、頭を振って抵抗するのです。

これにより、薬も栄養も、ほとんど飲ませることが出来なくなりました。

大好きで大好きで、これだけはほんのちょっぴりでも口をつけてくれた、ドライのササミも食べなくなりました。
脳に影響が出ているのか、それとも鼻が悪くて分からないのか、トイレ砂を口にするようになってしまいました。食べてはいないようですが、なぜか口に入れたがるのです。病院の先生に相談しても、頭をひねって悩まれるだけでした。


私は、「うずはもう、体が栄養や薬を受けつけなくなっているのではないか」と思っていました。
でも、一生懸命な夫の姿に、なかなか言い出せずにいました。


それでも、ある時あまりに具合が悪そうな姿に、子どもと相談しました。
うずの嫌がることを、もうやめてあげたほうがいいのではないかと。

うずがもう助からないということは、家族全員が分かっていました。でも、認めたくありませんでした。

でも、もしも本当に助からないなら、
このまま、怖い思い、辛い思い、苦しい思いだけをさせたまま、逝かせたくなかったのです。
少しでも好きなものを食べ、少しでも居たいところで過ごし、少しでも幸せを感じて逝ってほしかったのです。

「この家に来てよかった」と、ほんのちょっぴりでいいから、いい思い出にしてほしかった。

そう子どもと話しました。
夫にも相談し、その日から、一切の投薬と強制給餌をやめ、うずのしたいようにさせました。
本当は一緒に寝てあげたかったけれど、チャロが噛むので、できませんでした。その代わり、たくさんたくさん声をかけ、抱き、撫で、一緒にいました。

薬をやめたせいなのか、うずは時々痙攣しました。てんかんの発作のように、ガクガクしてから固まるのです。
うずはそれが怖いようで、そうなる前はそばに寄りたがりました。いつも、大丈夫大丈夫、一緒にいるよと撫でていました。


その症状は、1週間ほどでおさまりました。
トイレ砂を口にする行動も減ってきて、ごくまれにドライササミをほんのちょっぴりかじることが出てきました。


このころから、猫の生命力のすごさに、ただただ驚かされ続けました。
そしてそれは、私たちに、心の準備をする時間を与えてくれたのでした。


末期の様子~2020年1月末から2月

強制給餌をやめたのは、1月半ば。
たまにでも食べていたササミすら口にできなくなったのは、1月末近くなってからでした。
夫がササミに血がついていたと言っていたので、口内炎のようになっていたのだと思います。


何もできない自分たちが歯がゆく、うずに申し訳ない気持ちにもなりました。
でも、ただただうずの好きにさせたいと思っていました。見守ると決めていました。


このころ調べていたら、このような内容の記事を見かけました。

野生の動物は死を迎えるとき、まず食べなくなる。次に水を飲まなくなる。そしてカラカラに乾いて枯れ枝のようになって、自然に死んでいく。
動物は、一番不要な臓器から、動きをとめていく。胃腸などを先にとめるので、食べなくなる。そして最後の最後で、心臓や肺、脳をとめるのだ。
動物が食べなくなったとき、飲まなくなったとき、無理に与えてはいけません。体に余計な水分があると、むしろなくなる時苦しむのです。
食べなくなると脳内麻薬が出て、痛みや苦しみは薄れます。そうやって楽に死んでいくのです。

そうか。楽に逝かせてあげたいと思っていたけれど、食べなくなって飲まなくなって…というかたちが、一番自然に近くてラクなのか。
これは、見守ることしかできない私たち家族への、慰めとなりました。


うずは、1月の途中から、爪が伸びなくなっていました。
1月9日頃に、病院で爪を切ってもらったのですが、そのまま伸びません。
つまり、生命活動を少しずつ停止していっているのでしょう。

切っても切っても腕にささっていた頃が、切なく懐かしく感じました。


2月に入り、節分を一緒にできました。
豆にビックリしていたけれど、皆で優しくうずにくっつけてあげました。心の中で、「うずの中のウイルスが出ていきますように」と全員が思っていたのだと思います。


うずは、そのころ水を飲まなくなりました。
それでも、動き続けました。
水を飲んでないのに、トイレはちゃんと歩いていってしていました。
まるで体の水分を絞りだしているようでした。


動くのもやっとでしんどそうなのに、一生懸命ヒザに乗りにきてくれました。
こたつ布団を、反時計回りに必ず回りました。
すぐ隣に私がいるのに、いつもその方向に回って、遠回りしながらヒザに乗りました。
頭が混乱しているのかな、と思っていたのですが、ある日、ふと気づきました。

私がネズミのおもちゃで遊んであげた方向に回っているのかもしれない…。

ぼんやりした思考の中で、うずは一番楽しかった方向に回っていたのかもしれません。そう思ったら、なんだか救われた気持ちになりました。


毎晩、寝る前に、「朝起きたらもう、目を開けないかもしれない」と思い、たくさん撫でて声をかけてから寝室へ行きました。
毎朝、ふすまを開けるのに勇気が要りました。
ふすまを開けると、フラフラのうずがちゃんと目をあけて待っていて、「今日も起きてくれてありがとう」とほっとしていました。


いつか来る日を覚悟しつつも、今日生きていてくれる幸せに、感謝していました。

たくさん、大好き、愛してる、といいました。
生まれてくれてありがとう、うちに来てくれてありがとう、と毎日たくさんいいました。
毎日たくさん撫で、たくさん抱っこしました。


うずは、私たちに思い残すことがないよう、長く生きてくれました。
頑張ってくれました。
カラカラで枝のようになりながら、一緒に過ごしてくれました。

一番つらそうにしていた息子でさえ、「うず、よく頑張ったね。もう、あんまり頑張らなくて大丈夫だよ」と声をかけるほどに、頑張って生きてくれました。


うず、私たちに、愛する時間と、心の準備をする時間をくれて、ありがとう。


2月17日、13:30すぎ。うずは本物の天使になりました。


その日の朝、うずは自分でリビングまで歩いてきました。
皆、声をかけて学校と仕事に行きました。

私は、午前中はお仕事でした。
お昼ごろお客様がお帰りになり、用事でいったん外出し、すぐ戻ってきたあと、昼食を食べてから、うずの部屋へ行きました。


うずは、いつものベッドではなく、畳の上でうずくまっていました。
「うず、自分で降りられたの?」私はそう声をかけて近づきましたが、異変に気付きました。
うずの長い尻尾が、ぶわぶわに広がっています。
小さな声で、ニャ、ニャと言っています。ここ最近、声など一切出さなかったのに。


急いで抱き上げると、うずの瞳孔は完全に開いていました。
うずは、今逝こうとしているんだ。
瞬時に悟り、うずの好きだったこたつのそばまで連れてきました。


そして、たくさん声をかけ、たくさん撫でました。
やっぱり寂しくて悲しくて泣いてしまったけれど、大好きとありがとうと愛してると一緒にいるよと繰り返し繰り返し声かけしました。

そして、私がいる時でよかったと心から思いました。

うずは、少し苦しそうで、おしっこをもらしました。
家に来た日から、うずがトイレ以外でおしっこをしたのは、その日が最初で最後でした。

うずは、私の腕の中で、少しずつ少しずつ動かなくなっていきました。
最後まで、天使のようにかわいく、いい子でした。
いえ、とうとう本物の天使になったのでした。


仕事中だった夫に、電話をして伝えました。
「ママが家にいるときで本当によかった」と言っていました。

帰宅した息子は、聞いたことのない声でひたすらに泣きました。
「おれもそばに居てやりたかった」と、そして今までありがとうと言って泣きました。


うずは、2021年2月17日、生後9か月で、天使になりました。


私たちにとってほんの短いひと時でも、動物にとってみれば一生の長い時間。

最後に、いつかどこかで見た文章を書いておきます。

FIPは子猫に格段に多い病気とはいえ、なぜこの子が、なぜこんな小さな子が、という気持ちは常にありました。
なぜこの子はこんなに短い時間しか生きられないのか。
短い時間しか一緒にいられなくて、悲しい。

そう思っていました。

そんなある日、こんな文章を目にしました。

人間にとっては短くても、その動物にとっては、一生。

目にした瞬間、涙が溢れました。
そうなのです、亡くなっていったその子は、その子の一生という長い時間かけて、一緒に過ごすことを選んでくれたのです。
それに気づいたら、感謝しかなくなりました。


ここまで長い文章を、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
本当に本当にありがとうございます。

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