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祖父たちの戦争【あやめ戦記】

祖父は、亡くなる前のある日、
「戦友が迎えにきた」と言っていたそうです。
病院で付き添っていた
母が教えてくれました。

母は「そんなこと言わないで」
と返したそうですが、
祖父は穏やかだったそうです。

戦友とはどんなものなのか。
亡くなったその戦友が迎えに来てくれることが、
祖父はなぜなんとなく嬉しそうだったのか。
それは、戦争に行ったことのない私には分かりません。

先日実家にて、
ふと目についたものがありました。
それが、これ。

あやめ戦記です。
昭和50年 新潟日報社発刊、
(おそらく)非売品。

実は物心ついた時から、
家の大きな本棚に
「あるなぁ」とは思っていました。

古いし分厚いしで、
それまで気にしては
来なかったのですが、
その日は違いました。

どうしても背表紙が目に入ってくる。

手に取ると、
戦争へ行っていた
祖父のものだと分かりました。

さらにパラリとめくると、
そこには赤ペンで、
祖父の文字が。

線が引かれたり、
名前を書き込んだり、
添付の地図には
祖父が歩んだ軌跡が
描かれているのでした。

そして、その中身。

それは、ガダルカナル島や
ビルマ、雲南方面へ赴いた
方々の手記だったのです。

祖父がビルマ方面へ行ったことは
なんとなく聞いてはいました。
それがもとで
「ビルマの竪琴」も読みました。

ただ、もともと
戦争や従軍に嫌悪感があった私は、
あまり深く尋ねることも
歴史を深く勉強することも
今まではありませんでした。

基本的に、歴史は
「勝った側」の視点で
語られることが多い

ということもありました。

でも、この本は違います。
「実際その場へ行き、戦争の真っただ中に身を置いて、そして生還した方々」の言葉なのです。
全てが生々しく、リアルで、凄惨で、
そこにはたくさんの気づきがありました。

「読まなきゃいけない」

そんな気持ちになりました。

父が読んだ形跡はなく、
本棚の一番端っこに、
長年放っておかれたような気配です。

一番のおじいちゃん子だった私が
この本をもらい受けても、
おじいちゃんは嫌がらないだろう。
そんな気持ちも手伝い、
母に断って持って帰りました。

とても、とても。
簡単に読めるようなものでは
ありませんでした。
何日もかけて、読み進めました。

ようやく読み終え、
それから随分と
色々なことを考えました。
うまく言葉にはできませんでした。


少なくとも感じるのは、
これは今の私だから
読めたのだ、ということです。

戦争=悪

そう思っていた私では、
従軍した方々のことまで
悪く思ってしまっていたことでしょう。

ちなみに今の私は
戦争≒愚か
というスタンスです。

たくさんの方々の目を通して、
起こった出来事が
多角的に綴られています。

その中では、
「命を分けたものは何だったのか」
そう何度も考える様子が見られます。

そして、全ての方が
「戦争は、二度としてはならない。私は今後二度と戦争したくないし、他の人たちにも絶対にしてほしくない」
とおっしゃっています。

思えば、
第二次世界大戦に関わった方々は、
ものすごい時代の移行を
体験したのでしょう。

自分の価値観を
180度変えるような
そんな生き方だったことでしょう。

想像を絶するような時代だったのだろうなと、
そんな取ってつけたような言葉が
不釣り合いなほどに。

私は、やはり戦争ではなく、
平和と調和を目指します

そのために、
今自分ができることを
心をこめて行っていきたい。
そう思います。


「あやめ戦記」は、
新発田駐屯地から出兵した方々が、
重い口を開き、苦しい過去を思い出し、
そして
「永遠の平和を祈りつつ」
時間をかけて作り上げ、
捧げられたものだそうです。

私が最も共感し、
そしてたくさんの方々に
知ってほしいなと思った心は、
その冒頭の言葉に集約されていました。
部分的に掲載させていただきます。

 私たち日本人は、国土を荒廃させ、二百数十万人の同胞を失い、あまりにも高い代償を払って戦争の愚かさを知った。世界平和の願いもむなしく、今もなお、世界のどこかでは戦争の火種が絶えない。人類の長い歴史を通じて、争いは性懲りもなく繰り返されてきたが、だからといって、人間同士の英知と理性で避けられないはずはないのだし、努力すべきことである。

 悲惨な戦争を、再び起こしてはならない。しかし、国家の目的と意思によって銃を握り、青春時代を戦塵の中で過ごした事実。それもまた消すことはできない。大義の名のもとに疑うことも許されず、恩愛の絆を断って、先兵となってきた。今日、その戦争の功罪を論じ、平和を望むからといって、自らの行為までも否定し去ることができようか。複雑な思いを胸に秘めながら、戦後の復興に尽くしたのも、また私たちの世代であった。

 この「あやめ戦記」は、戦史としての意図を持つものではない。参謀の手による勇ましい戦略解説でも、作家の描いたノンフィクションでもない。自らの記念碑として、また後世に戦場の実態を伝える手記として、ありのままの記録を残しておきたい。
 そして、永遠の平和を祈りつつ、この戦記を亡き戦友と遺族にささげる。

昭和50年8月15日 終戦記念日に

「あやめ戦記 歩兵第十六連隊と太平洋戦争」より、一部抜粋

この本を手に取り、
ようやく読み終わったのは、
奇しくも祖父の命日でした。
そうしようと思ったわけではないのに、
そうなっていたのです。

ちょうど用事で実家に行ったので、
仏壇で手を合わせることができました。

甘い物とお酒が大好きな祖父でした。
時代劇を見ながら毎日泣いている、
感動屋の祖父でした。

畑仕事と植木の手入れを毎日していました。
可愛い金魚を飼っていました。

私が「赤がいい」と言ったら、
祖父は小さな赤い車を買いました。
タクシー運転手もしていた祖父は
道に詳しく、運転も上手でした。

怖いところもあったし、
手を上げられたこともあったけど、
あんな戦場にいたのなら、
それも理解できる気がしました。

「保育園に行きたくない」と言ったら、
毎日のように海へ連れて行ってくれました。

祖父は私が高校生のときに亡くなりました。
初めてのお盆に「帰って来て」と願っていたら、
誰も触っていない仏壇のろうそくに火が灯っていて、
「ありがとう」と心から嬉しくなりました。


おじいちゃん、生きてくれてありがとう。
私たちを育ててくれてありがとう。
今も、ずっと、大好きです。

どうぞサポートのお気持ちは、ご自分へのご褒美に使ってあげてください♡