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万人に愛される説明

ちょっと考えてみてほしい。

オカピを知らない人にどうやってオカピを説明するだろう?

「馬みたいなシルエットで……脚とお尻にはシマウマみたいな模様があって……」と言ったところだろうか。

それをいきなり、「オカピは世界三大珍獣のひとつで野生の個体はコンゴにしか生息してなくて日本ではズーラシア動物園に行けば会えて……」と説明しては、聞く側に困惑を招いてしまう。

知識の押しつけがましさはもとより、オカピが何であるかの理解にとっては遠回りに違いない。

オカピの概要については、ある程度オカピのイメージをしてもらった後にするべきで、最初から雑学を語ることは、知らない人にとって説明ではない。


要は、理解のための知識は適切な順序があると言えるのだ。

そして誰かに説明する時、その順序は大切だ。

オカピを知っている者が、オカピと聞いたら、まずシルエットが浮かぶだろう。
オカピが世界三大珍獣のひとつだと知っている人だって、オカピと聞いてまず浮かぶのはオカピの姿だろう。それから副次的な知識に派生していくのであって。

外見の説明を省いてしまうケースがしばしばみられるのは、オカピの姿を知っている人にとってそれがあまりにも当たり前なために他ならない。


で、オカピを例にしたから極端な話になってしまったのだけれど、この記事では、何かを説明する時に自分が知らなかった頃に立ち返って説明できる人の少なさを嘆きたいのだ。

これは大学の講義でもそうだし、知人との会話でもそうだ。
"相手が何を知っていて何を知らないか"を知らないまま説明を進める人が多いのだ。

よく書店で『小学生でもわかる〇〇』と題した本があるが、私に言わせれば、全ての説明はそうあるべきだ。

馬鹿馬鹿しいほど、物事を簡単に説明する。
これ以上の因数分解ができないとみて初めて説明の要素たる単語になるのだ。

しかしまあ、100までに素数は25個あるわけで、確かにその通り、世の中には、一見難しい聞こえの単語であっても、聞き手がその意味するところを知っていなければならないなんてことも少なくない。


難しい……。
私も説明の行き足りなさを嘆く前に、自分の語彙や理解力を増やす勤勉さを身につけるべきなのかもしれない。
さらには私の説明だって、不要な難解さを持っていないとは限らない。もっと簡単にできる箇所は絶対にあるだろう。





じゃあ、オカピを因数分解するとして……

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