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実は知られていないヤリラフィーブランドの歴史 GUCCI、GUESS、KENZO

こんにちは、lilcatです。
今回は久しぶりにファッションについての記事を更新したいと思います。



ヤリラフィーとは

さて、みなさん「ヤリラフィー」という単語をご存知でしょうか。
ヤリラフィーとは配信アプリ「TikTok」で使われ流行した楽曲「CHERNOBYL 2017」のサビのリリックが「やりらふぃ〜」と言っているように聞こえる空耳から始まり、この楽曲を使い踊る人たちが見た目が派手であったり、飲み屋などのキャッチセールスを行っている人たちであったことからそれらの人たちが身につけている洋服などを総評して「ヤリラフィー」と命名されました。(俗に言うパリピファッションである。)

昨年なんかは僕自身の周りでもこの言葉をよく耳にしたためSNSをやっている人ならば一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

ここからが本題なのですが、この「ヤリラフィー(ホストやキャッチ)」を職業としている人たちの服装を街中で見てみると皆んながこぞって同じような系統の服を着ているとは思いませんか?

例であげるならば、ハイブランドのロゴがTシャツの前面にプリントされているもの、サイズはぴちぴちのジャストサイズ、パンツは明るいインディゴデニムもしくはadidasのトラックパンツ、スニーカーはダッドスニーカー...

このようなイメージはありませんか?(あくまでも僕の偏見です)

ファッションブランドしかり、音楽や芸術作品などファンが存在するものはそのファンの民度が低ければ自身の感性を疑ってしまうきっかけになり得ますし、元いるファンの質が低ければ偏見がつき、新しくファンになりずらいのではないでしょうか?
また、ファッションの観点からみても、みんながみんなおなじようなコーディネートをしていては、「無個性である」などのそのブランドにも偏見がつきます。

なので今回は、そんな「ヤリラフィー」の方々がよく着用しているブランドの歴史を掘り下げ、現在ついてしまった偏見を脱却しようと考えました。

まずは、こちらのブランドから紹介いたします。


GUCCI

まずは誰もが知っていて、今では完全にホストやキャッチ御用達になってしまった老舗ブランド「GUCCI」ついて。

創設者 グッチオ・グッチ

Guccio Gucci

創設者はグッチオ・グッチ。彼は1881年、イタリアのフィレンツェで麦わら帽子の製造を行う家系に生まれる。
1921年に生まれ故郷であるフィレンツェにて店舗を構えます。グッチオ・グッチが存命の頃はまだ洋服展開はされてなく、レザーグッズ専門店のショップでした。
その後、数年で成功を収め、1973年には工房を拡大させ、ホースビットなどの乗馬の世界からインスパイアされたアイコンを発案。

1953年にグッチオ・グッチがこの世を去り、その息子アルド・グッチ(Aldo Gucci)が事業を継承することになります。(のちにパオロ(paolo)ヴァスコ(Vasco)ロドルフォ(Rodolfo)等の子孫たちが経営していくことになる。)

これがGUCCIのおおまかなブランドの始まりです。
はじめは洋服の展開は行っていなかったのです。

グッチオがこの世を去った後のGUCCIを継いだアルドの功績はとても大きく、50年代後半に再び乗馬から着想を得て、鞍の腹帯に由来する「緑-赤-緑」の織物を発案。
ブランドのトレードカラーを作りました。

その後も事業を拡大し、当時イタリアのブランドでは初となるニューヨークへのショップ展開を果たし、60年代半ばには遂に伝説的な二重のGロゴ(GGロゴ)を採用し、ブランドのシンボルとなります。
60年代後半になり、オートクチュールが廃れ、高級既製服であるプレタポルテコレクションが開始し、これまでレザー製品中心を販売していたグッチでしたが、1970年代を境にプレタポルテ、72年にフレグランスと時計をデビューさせ、また、60〜70年代にかけては、ニューヨークだけでなく、ロンドン、パリ、東京に店舗をオープン。
ブランドのグローバル化を図ります。

1981年には、グッチオの故郷であるフィレンツェにてブランド初のランウェイショーを開催します。

翌年82年には公開会社化し、事業をさらに拡大。
1987年、バーレーンの投資会社インベストコープがグッチの株を取得を開始し、1990年初頭には全株式を保有します。

そして、1990年。
時代は変わり、デザイナー「トム・フォード(TOM FORD)」がレディース・ウェアのチーフ・デザイナーになり、その4年後にクリエイティブデザイナーに就任します。

99年にはイヴ・サンローラン、アレキサンダー・マックイーン、ボッテガ・ヴェネタ等を買収したことにより、フォードはサンローランのデザインも任されます。

2002年には、グッチの傘下から元ビートルズの「ポール・マッカートニー」の娘である「ステラ・マッカートニー」の「STELLA McCARTNEY」がデビュー。
その2年後の2004年にトム・フォードは悔やまれながらもデザイナーを退任。
その後は、2回ほどデザイナーの交代があり、現在はFENDI(フェンディ)のシニア・アクセサリー・デザイナーでセンスを磨き、トムフォードに抜擢されグッチに入社した「アレッサンドロ・ミケーレ」がクリエイティブディレクターを務めています。


GUCCIが得意としているのはやはりレザー製品であり、バッグやシューズなどこれまで数々の名作のレザー製品を生み出しました。
しかし、現在の大成功とは裏腹に、パオロとロドルフォが対立し、パオロが「paolo gucci」名義で別ブランドを立ち上げたり、グッチ一族最後のデザイナーである「マウリツィオ」が妻の雇ったヒットマンに射殺されるなど過去には失敗や汚点があります。
しかし、「クオイオ・グラッソ(トスカーナ地方で革が傷つかないように牛舎の中で大切に育てられた子牛の革に魚の骨でとった脂を塗ったもの。脂が塗られることで表面の手触りが滑らかで、とても柔らかく鞄の素材として抜群のもの) 」の発見で原料不足を乗り越えたり、「トム・フォード」や「アレッサンドロ・ミケーレ」の新たなスタイルの確立など「GUCCI」は永久に不滅だなと僕は感じています。

現在ミケーレ率いるGUCCIは、2018年に「川久保玲」のコムデギャルソンとコラボし、PVCバッグを発売するなどし、新たな試みを行なっています。

そんなミケーレの代表作といえば、「GG BLOOMS」
GGキャンバスのバッグやウォレット、スカーフなどに花柄がプリントされた美しく印象的なコレクションです。

GG BLOOMS
バックパック スカーフ

親子代々受け継がれてきた歴史深いブランド「GUCCI」、最近のコレクションはグリーンやブラウンなどのトレンディなカラーとシックなデザインを発表していますので、粋なセットアップが欲しい方にはとてもおすすめしたいブランドです。


GUEES

続いてはアメリカのブランド「GUEES」についての紹介。

モーリス・マルシアーノ ポール・マルシアーノ

彼らがブランド「GUESS」の創始者である「マルシアーノ兄弟」です。

GUESS(ゲス)
GUESS? Inc.およびGUESSは1981年にフランス「マルセイユ」のワインセラーのオーナーであり、アートコレクターの「モーリス・マルシアーノ」と「ポール・マルシアーノ」の兄弟によって創設される。
彼らが、アメリカ「カルフォルニア」に移住した後、ドライブ中マクドナルドの看板に「GUESS? what's in the new Men?」と書かれていたところからブランド名を命名し、ブランドコンセプトに「YOUNG, SEXY, ADVENTUROUS(若く、セクシーで、冒険的)」を掲げ、ブランドをスタート。

GUESSも夜の繁華街でよく見かけるブランドの一つですよね。
そんなGUESSも掘り下げると歴史の深いブランドなのです。

今現在では、ウェアだけでなく、バッグからアクセサリーまで幅広く展開している「GUESS」ですが、始まりは24本のデニム。

ブランドを創業した同年81年に伝統的なアメリカン・ファブリックとアートを集めることで磨き上げられたヨーロピアン・スタイルを融合させたデニム「ストーンウォッシュ」、「スリムフィット」、「3ジップのマリリン・ジーンズ」の3型を発明し、アメリカの高級百貨店である「ブルーミングデールズ」で3×8の24本のデニムを発売。

当時はバブル全盛期の80年代、日本からの「ヨウジヤマモト」「コムデギャルソン」や「ボディコンシャス」がトレンド化し、ジーンズは流行とはかけ離れた存在でしたが、大好評につきたった数時間で24本のデニムが完売します。
その後のGUESSは広告ビジュアルに力を入れ、「クラウディア・シファー」「エヴァ・ハーツィゴヴァ」「アンバー・ハード」「ジジ・ハディッド」などのスーパーモデルを起用し、「エレン・ヴォン・アンワーズ」ギタリストでもありカメラマンの「ブライアン・アダムス」などの著名なカメラマンも寄与しています。
そのため、「GUESSの広告モデルになることがトップモデルになるための登竜門」と呼ばれるようになりました。

「当時からずっと、今でも、広告には私の情熱の全てを捧げています。
エッジーでグラマーな広告ビジュアルを創ることは私のミッションです。」

ポール・マルシアーノ

マルシアーノ自身こう語るほど広告を重視し、ブランドイメージの向上に努めたブランドなのです。

3zip マリリンデニム

マリリンデニムは元ネタが存在し、ムービースターであった「マリリン・モンロー」が着用していたデニム「Levi's 701」をモデルにデザインされたアイテムで、股上が深く、ハイウエストで腰からヒップにかけてのラインを美しく見せるために作られたもの。
3ジップはジーンズの足首の外側にジップがあしらわれており、股上のジップと合わせて3つにジップがついていることからそう名付けられました。
マリリンデニムはフランス・パリのセレクトオリジナルのブランドである「ANATOMICA(アナトミカ)」でも発売されています。

ストーンウォッシュデニム

ジーンズの表面をユーズドのような雰囲気を出すようにダメージ加工を施したデザインのもの。 新品のジーンズと天然の軽石や研磨剤などを洗濯機に入れ、一緒に洗うことによって生地の表面を磨耗させて加工しています。

スリムフィットジーンズ

スキニーより太く、レギュラージーンズより細く、中間サイジングのデニムになります。
シルエットはスマートで、動きやすく、レギュラーとスキニーのいいとこ取りしたデニム。


GUESSのデニムはリジッドがあり、コットンがとても頑丈。
特に80〜90年代の物だとクオリティが高いため、古着で味のあるデニムを探している方やブランドコンセプトにもある通り「セクシーさ」を売りにしているため、個人的にはハイストリートが好きな女性におすすめしたいです。


KENZO

続いては日本のデザイナーズブランドのレジェンド「KENZO」のご紹介。


創業者 高田賢三

デザイナー「高田賢三」
1939年、兵庫県生まれ。
実家が旅館を経営しており和服の女性に囲まれる環境で育つ。
姉が洋裁を学んでいたことから自身も洋服の製作への興味を示したが、当時男性を受け入れる服飾学校がなかったため神戸外国語大学へ入学するも在学中に文化服装学院で男子生徒を募集するというニュースを聞き大学を中退し、文化服装学院に入学。
1960年、文化在学中に「装苑賞」を受賞。
61年に文化服装学院を卒業。
卒業後に一度就職するが65年に単身でパリへ留学。

69年に「ジャングル・ジャップ」と自ら差別用語を用い、パリでブティックをオープン。自身のブティックで、小規模ながらも1970年春夏コレクションを行なう。

お金がなかったので日本から和服の生地を取り寄せて洋服を制作したが、そのことが功を奏して、着物地のワンピースが「ELLE」の表紙を飾る。
1970年にてパリコレクションデビュー。

日本のレジェンドデザイナー「高田賢三」
70年代前半からブランドをスタートさせ、引退した2000年春夏シーズンまでで日本のでなく、世界のファッションシーンを変えた偉大なデザイナーですが、「KENZO」も最近よく街中で見かけますよね。

1970年にパリコレクションにデビューした「KENZO」はデビューしてから常にパリコレの中心を担っていました。
中でも名作と呼ばれているのが「フォークロアスタイル」。
装飾的でエスニック、民族衣装のようなコレクションを発表し、70年代ヒッピーカルチャーのトレンド化に貢献します。

フォークロアスタイル

その他にも高田賢三は様々なスタイルを提案し、ニットを使用し、ワークウェアを取り入れた「農民ルック」、着物や袴を取り入れた「ペルー・ルック」76年春夏「アフリカン・ルック」、76年秋冬「インディアン・ルック」、77年春夏「ギリシャルック」、79年春夏「エジプトルック」など様々な国々の衣装をデザインに取り入れたコレクションを打ち出したことで有名です。

初期の頃のKENZOは阿部千登勢がデザイナーを務める「Sacai」とテイストが個人的に少し似ているように感じるので「Sacai」が好きな方は初期のKENZO好きなんじゃないかなと思います。

また、ヤリラフィーがよくきているロゴTにプリントされている虎はデザイナーの高田を象徴したもので、コレクションでも虎をモチーフにしたアイテムが度々登場します。

2018ss look32
「バンブータイガー」

20-21aw look12



最後に

僕は彼らヤリラフィーのファッションを否定したりするつもりはないのです。
この記事をみていただいて「実はその着ているブランドにはこんな歴史があるんだぜ」というのをしっていただければ嬉しいのです。
ヤリラフィーのみなさん、ヤリラフィーが友達にいるよというあなた、この記事をヤリラフィーの友達にシェアしていただけたら幸いです。

今回も長文お読みいただきありがとうございました。

writer by lilcat
insta @lil__cat__

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