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気がつけばソコソコ英語が喋れるようになっていた話

最近はさっぱり英語を母語、もしくは第2言語にしている人達と話す機会がなくなったので、今現在の私の英語力がどうなっているかは分からないが、一時期、英語しか話せない人と当たり前のように遊びに出掛けている時期があった。

きっかけはなんだったかハッキリとは思い出せないが、友人の友人だったか、アメリカから日本に1ヶ月ほど遊びに来ている人達を紹介された。
「でも英語喋れんしなぁ」
と思ってはいたが、いざ会ってみると不思議なことに意外と言っている事が分かるし、言いたい事も言えるのだった。驚き!

驚きはさておき、思い当たる節はあった。
それは気に入ったバンドのCDを歌詞と対訳とにらめっこしながら何度も繰り返し聞いていた事と、気に入った洋画を繰り返し観賞していた事だ。
高校時代なんかは気に入ったワンシーンをよく友達と真似していたものだ。

勿論、学校では基礎的な英語教育を受けていたわけだから、ある程度は理解できるのが当たり前だ。
私がとりわけ他の生徒達と違ったのは熱心さだった。興味がある事への熱意はかなりある方なので、分からない単語などがあれば授業終わりに教師に尋ねる程だった。
自分としてはただ単に好きな曲や映画などで言っている事が理解したかっただけだったが、教師からしてみれば「授業以外でも質問してくる熱心な生徒」に見えるわけで、そこら辺の姿勢も評価されて、英語の評価は10段階中9~10だった。
ちなみに興味のない数学なんかは3だ。

というワケで特に
「英語話せるようになりたいから外国人の友達欲しい~」
という超失礼な願望があったワケでもなく、気がついたらソコソコ英語が話せる人になっていたワケだ。
気分はさながら、古代ラピュタ文字で書かれた石板を目の前にして「読める!読めるぞ!」と歓喜していたムスカである。

パンデミック前の話だが、飲みに出掛けた先で英語話者によく出会ったものだ。
私がつたない英語で会話している場に居合わせた友人などに「どうやったら英語話せるようになるの?」と訊かれるシチュエーションがよくあった。
映画の台詞を丸々覚えたら話せるようになるよ、と大体の場合は答える。
これが効果的な方法かどうかは、尋ねてきた人達から「実践したら英会話が上達した」というその後の報告を受けたことがないので分からない。
少なくとも義務とか勉強というカタチから入ると何も頭に入ってこない私としては“楽しんでいるうちに自然と覚える”という方法が効果的だったのは確かだ。

ちなみに香港映画も大好きなので、同じメソッドで広東語も覚えようとしたが、いかんせん広東語で歌う好きなバンドがいないのと、英語と違ってまずは漢字の読みを覚えなくてはいけない事がネックとなり、未だに全然広東語は「トイレはどこですか?」くらいしか分からないでいる。

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