亡き夫と洗濯バサミ。
今日は僕の永遠の謎をテーマに。
僕の永遠の謎。
それは、女性たちの会話。
それはそれはもう、僕がどんなに頭をフル回転で話を聞いても、その文脈や話のつながり、展開が全くわからん。
僕は幸い、女家系で育ち、女友達も多い。そんな僕でさえ、理解できないのだから、一般男子はなおさらだろう。
前にこんな事があった。
僕がカフェで仕事をしている時の話。
窓際のカウンター席に座っていると、程なく2人のおばちゃんが僕の背後の2人掛けの席に座った。
何となく会話が聞こえてくる距離やけど、僕は作業をしているから、話の内容までは入ってこない。
ただ、おばちゃんのひとりがポロっとこぼしたある言葉に僕の耳はダンボになった。
「もう、あの人がこの世にいないってわかってるんだけど、まだ朝起きるとあの人が居間にいるような気がしてねぇ…。」
僕はその言葉を聞いて、ハッとしてもう作業どころではなくなった。
なんとも切なく、さみしそうな声。僕の勝手な想像力が暴走を始めた。
長年連れ添った夫婦。
恋愛結婚だろうか、もしかしたら時代的にお見合いだったのだろうか。
多分、自転車の後ろに横乗りして、川沿いをデートしただろう。
そして、いつしか「俺んとこに嫁に来い。」なんて目を逸らしながら言った不器用なプロポーズ。
そして、2人は結婚した。
それから、子どもが生まれて、憧れのカローラを買い、みんなでプールに行ったのだろう。膝の上に座る小さな娘さんはなんとも愛らしく笑っている。
その後、反抗期には煙たがられたお父さん。仕事一筋のお父さんはどう接していいかわからず、手を上げてしまったこともあったかもしれない。その時のことを今も後悔していることを、娘は知る由もない。
ある日突然、娘は知らぬ男性と家に来て、その男は「娘さんを僕に下さい。」と言った。
「何処の馬の骨かわからんやつに娘はやらん!」なんてお決まりのセリフをと言うつもりが、不器用さと緊張から「はい。よろしくお願いします。」と言ってしまった。
そうして娘は結婚し、気がついたらおじいちゃんになった。
初孫は想像を遥かに超えるかわいさで、まさに目に入れても痛くないほどかわいがった。
孫も健やかに成長し、もう大学生。娘婿の転勤をきっかけに盆と正月くらいしか会う機会がなくなった。
狭かった我が家もまた夫婦2人だけになった。
「また、あんたと2人だね〜。」
洗濯物を畳みながらこぼした妻の言葉に、声には出さず「そうだな。」と胸の内で小さく答え、煙草をふかした。
やがて、身体は衰え、体調を崩す事が増えた。そんなある日、突然風呂で倒れたお父さん。検査入院のはすが、容体は急変し、帰らぬ人となった。
突然の別れ。
あの人と過ごした50年。
長いようであっという間だった。
無口だったあの人。
家族より仕事を優先したあの人。
家族より仕事の方が大切な人、そう思って泣いた夜もたくさんあったけど、遺品から見つけた汚い数冊のノート。
そこには子どもの成長を記した沢山のなぐり書き。手を上げてしまった娘への謝罪。家族一人ひとりの幸せを願い、毎日散歩途中に神社に通った事も知らなかった。
あの人が誰よりも家族を想い、生きてきたその足跡を見て涙が止まらなかった。
ふとした時に感じるあの人の面影が、今も思い出される。
まだそばにいるようなそんな錯覚。
あの人はもういない。
そんなことはわかっているのに…。
という、僕が勝手に想像したそんなストーリー。だが、間違いない。こんな物語が2人には必ず存在するはずだ。
そのおばちゃんとご主人との半生に、僕は目を瞑り、想いを馳せた。
その時。
その切なく、悲しいおばちゃんの言葉を聞くなり、もう1人のおばちゃんはまさかの一言を放った。
「あんたさ、そんな話よりさ、この洗濯バサミ買った?!すごいいいのよ〜!」
と、袋から洗濯バサミが沢山ついたタコ足を取り出した。
おい!なんて事を言うんだ。おばちゃんがご主人の事を思い出して、さみしそうにこぼしたその気持ちがわからんのか?
友達なら励ますなり、聞いてあげるなり、せないかんやろ!
そう思った時、当の本人のおばちゃんはあろうことか、
「それダイソーやつ?!欲しかったけど、この前売り切れやったんよ〜!」だって。
2人は洗濯バサミについて、軽く引っ張れば片手で取れるとか、折りたためるから邪魔にならないとか、そんなことで大盛り上がり。
そして、おばちゃんたちはいそいそと荷物をまとめて、早足でダイソーへと向かってカフェを後にした。
1人残された僕。
あのおばちゃんの切ない一言はスルーして良いのか?
そもそも話をちゃんと聞いているのか?
ご主人の思い出より目の前の洗濯バサミの方が大切なのか?
色々僕なり考えた結果、女ってわからん。
改めてそう思った出来事でした。
では、また。
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