ピーターカターはかく語れり

ピーターカターはかく語れり

古今東西の珍品は永久の美を持つか?
その問いに対し賢人たちはこぞって是と答える
しかしある少年は興味深い回答をしたのだ。

美しさというものをどう捉えるかにもよるが、その物が持つ本質的な価値を美とするならば、たとえ劣化しようとも、まさしく永久の美を持つと言えるだろう。だが表面的な損傷の有無を美とするならば、その評価は逆転する。
…この世界において評価される美とは前者である。幸運なことだろう。
だが審美眼を持つものはどうだろう
目利きとはどんなものか
彼らの持つ美的本質は、評価される「美」に影響するだろうか?穢れた魂を持つものは、美醜の見分けがつかないだろうか?はたまた己が私欲に飲み込まれ、嘘で塗り固めるだろうか?
しかしそれは、「美」すなわち本質の評価ではない表面的な美である。
真贋という表面的な美と
美醜という本質的な美
偽物でも美しくあり
本物でも醜くある
先ほどの例を用いるならば
傷物でも美しくあり
美品でも無価値である
だが美品ならばそれは美しくあるということ
ならば無理に二分することはないのだ
己が心に聞くが良い
見えたままが「美」
感じるままが「美」
明日の隣人と、昨日の同志の「美」は
似て非なるもの
だがどちらも「美」であると
互いの「美」を否定することこそ醜く愚かなこと
そしてこれは、他のことにも当てはまるのだ…

無理に答えを出さなくても良い
二つに一つ
そんなものからは逃げてしまえばいいのさ

気づけば少年は風となり
砂塵を撒きたて消えゆく

それすらも錯覚だろうか
夢のまた夢か
酒を片手に一人佇む…

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