無心

静寂を愛せ
静寂と共に
静寂の中にこそ真の己が現れる

真っ暗な部屋で目が覚める
鳥のさえずり
風に揺れる木の葉
道を歩く子どもの声
襖の隙間から漏れる陽光でさえ騒々しく思う

布団を退かす音
起き上がる時の布の擦れる音
ひいては自分の足音、心臓の鼓動にさえ…

いけない。直情的になるのは悪い癖だ。
今更どうしようもないことだというのに。

落ち着きを取り戻す。すべての音が遠くなる
これでいい。

人間らしさを取り戻したところで身支度をする
と言っても顔を洗ったり食事をするだけだが


何もない場所などない。
この世の全てに意味が与えられ、何かと関わることを義務付けられる。
随分傲慢な支配者がいるものだと、子どもの頃から思っていた。
いつか誰かがそんな世界に革命をもたらしてくれると、常に祈っていた。

そんな私にバチが当たったのだろう。
私は否応なく周りの存在を意識せざるを得なくなった。
私や周りの意思に関係なく、その存在を主張する。その全ては音となって私に訴える。

支配者に逆らおうとする罰と言わんばかりに、聞きたくもないものばかり大きく聞こえる。
存在の核となるファクターが音となり、鼓膜をつんざく。呼吸、心音、呼吸、心音。
数が増えれば、声、声、声、声!

うるさい!お前たちの存在は、私の生きるのに必要なのか?そうではない!そうではないならなぜそう大きな音を立てるのだ。こっちを見てと主張する幼子のように絶えず音を発する。

私は辟易した。かくも人間は欲張りなのだと、まさしくエゴの塊なのだと。おくしくなったのは私だが、だからこそわかる。彼らは自分自身がいかにわがままか理解していないことに。

誰も自己の存在を主張することに違和感を覚えないのだ。爆音の渦の中で全人類は耳が聞こえなくなったのではないかと思うほどだ。

一度だけ耳を澄ましたことがある
一瞬にしてけたたましい天田の音が音が音が!
私はすぐに意識を手放した。
ああ、こんなにも世界は迷子で溢れているのだ
私を見つけてと

皮肉なことだが、うるさいうるさいと騒いでる私は、まさしく自己の存在を主張する塵芥に成り下がっていることに気づいた。
一人だけ世界の声を聞く私に気付け。
困っている私のために黙れ
そう訴える私は、穢れそのものではないか。
ああ、支配者は意地が悪い。私の一番嫌なことをさせるのだ。

一手
そう一手だけ
真の静寂を手に入れるには

他者との境界を認識すること
存在に意味を与えること
それを自己に適応すること
これらは静寂への重要なファクターではないか

この状況を逆手に取るのだ
聞こえるもの全てを拒絶し
認識した自己の輪郭を覆い
密閉した自己意識に飛び込む

そこからどうすれば
その一手がわからない

膠着状態のまま数年
自己意識を密閉する技術のおかげで、意識的に音量調整が可能になったが、問題は解決していない

何度目かの朝食を流し込む。
食糧は私ではない
だからうるさい
食事は嫌いだ。
ならば、と自分の肉を食ってみたが
切り離した瞬間食糧と認識しているようだ。
ああこの体は、意識は、
生を拒絶しているのだ

心臓に刃物を突き立てる
鼓動が大きくなり
大きくなり
私は刃物を落としてしまった
ああこの体は、意識は、
死を拒絶しているのだ

では、これは誰だ
私を生かそうとも殺そうともする
肉体でも意識でもない
これは
誰だ

静寂を愛せ
静寂と共に
静寂の中にこそ真の己が現れる
しかし我々は



静寂にたどり着くことはない

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