【読書】石田英敬・東浩紀「新記号論 脳とメディアが出会うとき」

「新記号論 脳とメディアが出会うとき」という本を読んだ。難解。対談を文字起こししたので読みやすいはずだろうと思っていたが、全くそんなことはない。東浩紀はなんで理解できるんだと思いながら読んだ。が、分からないから嫌だということにはならず、分からないから面白いという感想である。今で言うところの映画TENETと似たような感想か。

・メモができたので記憶する必要性が下がり記憶力が下がるという文献の紹介があったが、自分もそれに同意する。今ではメモをとらずともあらゆる物事がWeb上にアーカイブされているので、例えば映画を例に挙げて考えてみると、自分が見た映画の名前を記憶しておけば、映画館に行かずとも、また映画の公開時期が終わろうとも、容易にNetflixで過去の映画を観ることができる。映画評論家を観るとよくこんなに過去の映画の内容を覚えているなと思うが、それは一度しか観ることができないような環境下にあったからではなかろうか。

・労働における人間の奴隷化という話があったが、それは医療場面にもあられると思った。ここでは医者を話題にしているのではなく、患者のことを言っている。自分は過去に手術をしてもらった経験があるのだが、手術室の医療チームにとって自分は単なるオブジェクトであり、意志を持たないほうが却って医療チームにとって良いのではないかという感想を抱いた。これは、まさしく主体のない人間であり、奴隷に近い状態を自ら求めたと言えるだろう。

・政治的リーダーに対する支持が、そのリーダーを敬うことに基づいているのではなく、単なるリーダーやその支持者の模倣に基づいているという指摘は納得であった。先日も首相の退陣表明後に急に内閣支持率が上がって驚いたが、この現象は支持率がリーダーへの敬意に基づいているならば説明しにくいものである。これが良いのか悪いのかは何に模倣するかによるのだろうが、悪い方向に模倣するという流れになったときは少し(かなり)嫌だなと思う。

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