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「関心領域」を観た人は読んでください🪺🌍

なにが正義で、なにが悪でっていう
そういう次元の話ではなくて、

なにを気持ち悪いと思って
なにを美しいと思って
っていう

そういう生理的な次元の話だと感じた。

関心っていうのは知るよりももっと
感覚的なもの。だって知ったとしても
無関心なことってたくさんあるんだもん。

自分の感じ方が人と違う。
倫理的にそれにそう感じてしまっている
あなたはおかしい。

なにをどう感じて,なにを無関心にあしらって,なにに執着するかは自由。
でもそれを実行するかは別問題。
今回の場合、事実としてナチスがユダヤ人に対してむごい仕打ちをしていた。
そしてお父さんはそこで働いていた。
お父さんがいるから,お母さんは,子供達は豊かに暮らせていた。
「ナチス軍はユダヤ人に無関心だった。」という文章のナチス軍のところをお父さんに、お母さんに、子供達に置き換えることはできるだろうか。わたしはできないと思う。お父さんは立場として、仕事として,ナチス軍の無関心ムーブに洗脳されていたし,お母さんは自分が幸せだと思いたいがために虐殺のことを考えないようにしていたし,対して子供達はナチスに関心しかなさそう。
ユダヤ人に無関心だったとして,彼らを大量に殺す案をバンバン出して,バンバン実行して,バンバン殺す。このナチスという集団がもつ圧倒的な力に比べたら,この家族たちはむしろその犠牲者と言っても過言ではないと思った。関心領域にアウシュビッツがない、というのは語弊で,関心領域にアウシュビッツがあるが、ないこととしている。の方が正しいんじゃないのかな。

わたしがあそこにいたら誰になるんだろう。
あの叫び声に、あの銃声に、吐けるのかな。
どちらかというと赤ちゃんの泣き声の方がうるさかった。そんなわたしなのだけれど。

zoneを示す,音がたくさん出てきた。
冒頭。途中。クレジット。
大気圏を抜けるときのようなムード。
なんだか心地よかったのはなんでだろう。
どうしてか途中でウトウトしてしまった。
それはつまらないというよりもむしろ心地よかったからだ。ドイツ語だし,目を閉じてしまえば何も聞き取れない。BGMも大きな声もしない。その心地よさというのはなんとも気持ち悪い。気味が悪い。倫理的にもちょっと自分が心配。でも、事実だからしょうがない。
自分の気味が悪い部分。それは醜い部分なのか分からないけど,それが知れてよかった。
あの家族を見て,自分が他人として,引いてみちゃうのかと思ったけどむしろ関心領域は関心領域にありますか?って映画から訴えかけられるような。自分の内なる部分に問いかけられてるようで,全く他人ごとにはならなかった。なれなかった。

想像してたシナリオは全部覆されたけど
帰り道の思考を全て埋め尽くすくらいまで
どっぷり考えることができた。ステキなシナリオ。映画からコンテクストを炙り出そうとしないで目の前の現象から自分がなにを思い,なにを感じ,どうしたいかを考えようとも反省した。そんな感じ。

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