おもいで

おじいちゃんは私が1歳頃の時に亡くなっていて、ほとんど覚えていません。遺影で見る顔しか知らなくて、声も、話し方すらも何も覚えてない。
でも当時を知る家族に聞けば私のことをとても可愛がってくれて、私もおじいちゃんから離れなかったんだとか。座椅子に座るおじいちゃんの膝によじ登って、食べてるおやつを横取りしても嬉しそうに笑ってくれていたみたいです。
家族が皆大人になって会話が減って来たころに私が生まれたようで、変な言い方になりますけど私が唯一おじいちゃんに構ってくれる存在だったようです。
本当に短い間しか一緒に居なかったんだろうけど、ほんのちょっとでも救いになれていたなら良かったと思います。

そして、おばあちゃん。
今はもう亡くなってしまったけど、仕事に励む母の代わりに小さい頃からずっと面倒を見てくれていたおばあちゃん。
途中で入院がちになるまでは幼稚園の送り迎えもしてくれて、帰って来たらトランプや花札を教えながら遊んでくれて、母に隠れて一緒におやつを食べたりして。いつもニコニコした優しいおばあちゃんが大好きでした。
中学生になって私が思春期ないし反抗期に突入すると、小さい頃のようには仲良く出来なくて冷たい態度をとってしまいました。それでもおばあちゃんは笑っていて、でもその笑顔にも無性にイライラしてしまっていました。
高校生になるころ、おばあちゃんが繰り返しがちだった入退院が長期になるようになって、病気が進んでいって最終的に寝たきりになってしまいました。
たくさんのチューブが繋がって、大好きだったおしゃべりが出来なくなったおばあちゃんの姿を見て、ひどく後悔しました。何であんなに冷たくしてしまってたんだろうって。こんな状態になってしか後悔できないなんて最低だってずっと思ってました。出来る限りお見舞いに行って、声を掛けたり、顔を見たりすると目はちゃんと見えてるらしく、私のことを目で追ってくれました。
そして、おばあちゃんは亡くなってしまいました。
その報せを受けたのは、就職試験の合格を聞いた日の夜でした。偶然かもしれないけど、おばあちゃんが結果を見届けてくれていた気がして大泣きしました。たくさん愛してくれてたんだなって実感しました。

おじいちゃん、おばあちゃん、
2人が私を可愛がってくれていたから両親が働きに出ていても寂しい思いをせずに楽しくいられました。
2人が怒らず穏やかにいてくれたから怖い思いもせずニコニコ楽しい幼少期でいられました。

おじいちゃんにはまだ言葉を喋れない頃だったから言えなかったけど、
おばあちゃんには変な意地を張って素直じゃなくて言えなかったけど、
心から感謝してます。本当にありがとう。それから、大好きです。
この文章が2人に届くと嬉しいです。

それでは。

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