見出し画像

食べることは、愛すること

自分はご飯を食べるのが大好きです。
栄養補給やエネルギーを蓄える為に食事は不可欠ですが、
食べる行為そのものが、自分は好きなのです。

なぜなのか、今回の投稿ではお話しします。

ずばり、自分にとって「食べることは愛すること」です。

😋❤️
自分は、愛情表現のうちの一つとして、自分の身体の一部にしたい、というのがあります。
好きな景色はじっと見つめて目と脳に焼き付けて、
好きな匂いは鼻腔いっぱいに嗅ぎ、
好きなものには触れたり近づいたり。
そして好きな味は、食べることによって身体の一部になります。
自分にとって食べることは、自分の「好き」に気付き、身体の一部にして確かめ、愛する動作の内のひとつなのです。

また、自分は芸術品も好きなのですが、料理にも芸術性を感じています。
おせち料理やアフタヌーンティーなど、料理は見ているだけで可愛くて美しくて目が美味しいのに、更に口で味わい食べられるだなんて、なんて幸せなんでしょう。
全てではありませんが、料理は食べられる芸術品だと思っています。
芸術を愛する気持ちも、「食べる=愛する」に関わっていそうです。

🤐💟
さて、ここからはちょっとディープな話です。
自分の場合は、「食べる=愛する」が、人間にも当てはまる節があります。
キュートアグレッシブという可愛いものをいじめたくなる心情や、人肉を食すカニバリズムとは違った意味合いですが、愛する人を食べたくなるのです。
※ここで用いる愛する人は恋人を指し、食べるはあくまで食事の意味です。

実際に食べたことはないのですが、あの人に1番近づきたい、あの人のようになりたい、存在を感じていたい、という気持ちになる時がときたまあります。
殺人者が「あの人を永遠に自分のものにしたかった」という言動に少し似たような思いなのですが、「自分の一部にしたい」という部分で「食べる」と自分は表現しています。
ただし、リアルな肉体を食べたいかと言われればそうではなくで、あくまで気持ちの面でです。

爪の垢を煎じて飲むとか、君の膵臓を食べたいとか、ちょっと重なる部分があるかも知れません。

愛する対象を、自分の一部に取り込みたい欲。
この思い、どう処理すべきなのでしょうか?笑

しかも、食べたいと思うだけならまだしも、食べ「られたい」とすら思う時があるのです。
自分のこれまでの理論で言うと、食べられることが愛されると言うことになるので。誰かの一部になりたいってね。

「食べる→愛する」が強すぎて、「愛する→食べる」となる自分が、ちょっと厄介です。
みなさんはどうでしょうか?共感してくれる方がいれば嬉しいです。
「可愛くて食べちゃいたい」というセリフを人に対して言ったことがある方ならば、少しは共感してもらえますか?

🧐💞❔
ここまで語っておいてなんですが、愛ってなんだろう。
いつか自分の中で意味付けて、お話ししたいです。
そして、この厄介な思考の対処法が見つけられるといいな。


みなさんは、愛情表現としてどのようなものがありますか?
愛ゆえに食べたい、と思った時はありますか?
ぜひ教えてください。

では、この辺で。

またね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?