見出し画像

ただいま、片づけに夢中

アカウントを創設して、安心しきった私は、noteもTwitterも、すっかり放置してしていました。実はあれからずっと、片づけをしていました。今も、です。😨

ずっと片づけなければと思いながら、20年以上、こちらも放置していました。
今、仕事を探しているのですが(驚かせることばかりですね💦)、その前に片づけないと、とんでもないことになる!と思った私は、とうとう重い腰を上げて、片づけの門を叩くことにしたのでした。

普通の人にも、かなしい思い出の一つや二つや三つはあると思いますが、私はかなしい思い出が、私の過去のメインディッシュでありました。
大袈裟な、と思われるかもしれません。もっと辛い思いをしてきた方も沢山おられることでしょう。ですが、私にとっては、事実そうでした。
私にとっては片づけは、かなしい過去と向き合う作業に他なりませんでした。だから今まで、片づけられなかったのかもしれません。片づけもそもそも苦手なのですけれど。

家族の思い出がことごとく、かなしい色で塗り広げられているのです。親やきょうだいですら。

写真や手紙、書類?!を見ていると、げっそりしてしまう。では捨てればいいではないか。もっともなのですが、捨てられない理由があります。

という訳で、モノを見るたびに、落ち込んでしまい、しかも今まで片づけてこなかったので、モノの量がハンパない。おそらく100箱以上の段ボールを開け、グエッとしながら、捌いて参りました。

もっとよい対応ができなかったのだろうか。なぜ優しくできなかったのか。なんてひどい人だ。出会わなければ、こんな想いをせずに済んだのに。あのときこうしていれば、こんなに辛い未来にはならなかった。私は間違っていたのだろうか。などという考えや想いが、微に入り細に入り、私をゼツボーへと突き落としにくるのです。

ジブンの大事な人に、辛い思いをさせることほど、かなしいことはありません。
もちろん、どうにもならない過去を背負って生きていくのも、つらいのだけれど。

過去は変わることはない。一度の失敗が、取り返しのつかないこともある。

だけれど、私は生きている。
私の大事な人のためにも、生きていかねばならない。

死にたい訳じゃない。生きていくのがつらいのだ。

どうにも変えることができない過去が、今の私に覆いかぶさっている。
何とか過去を手放して、明るく生きていくことはできないものだろうか。

そんなことを思いながら、カオスになっているこの家を、片づけております。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?