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世界線

誰かの幸せは僕の不幸せ


あのちゃんのBLOG「あいどる」を読んで、この音楽が浮かんだ
いままでの言葉からもこの曲に当てはまっていると感じる部分が多数ある

最近のニュースに触発された
偽善者みたいなやつらが

わかちあえないなあ
だけどわかりあいたいなあ
わかちあいたいなあ

ヒグチアイ/誰かの幸せは僕の不幸せ

ニュースを見て、目に入るものから沢山受け取ることがある自分にも他人にも思うこと
この世界の諦めと、でもわかりあいたいと思う日もあってそんな気持ちが最後の最後に現れている

強気に見せて見えてだいぶネガティブなあのちゃん
その根源はどこから、

幼少期いじめられていた、友達だと思っていた子に裏切られたと言う話を聞いた
他の子のいじめを止めたくらいだからか弱い訳でもない、自分を貫くあまりそれができない、協調社会で理解できない子に拒否されていたのではと考える

元にあるものは本当にずっと、変わらず、想いを持ち続けているんだろう
それがまた原動力になっているのだとも思う

わたしもそう、なんて簡単には言えないけれど
ネガティブさの根源なんてないし
この思考を理解してもらいたいとも、してもらえるとも話したい訳ではない
結局考えてることって同じでずっとぐるぐる回って抜け出せない
それが悩みでもないし、そこについて考えちゃうのが自分だ

客観的に見るとあのちゃんは愛されていて、沢山の人によしよしされて許されているように見える、が
それは蓄積であのちゃんが得たもので
でも本人から聞くのは周りを苦しめているとの言葉

見れている世界の違いを感じる

そして、ほんとうに批判する人がいるんだなと言うこと
もうわたし視点でしか見れなくなって
すきになる要素しか見えない、どうして、の気持ち

そもそも人を批判してる人って、足りない人なんだろうなと言う話になってくる


これまで感じたのは強い正義感、自己犠牲、他者貢献
INFPの要素があるのでは、、と考えるがどうなのだろう、そんなところに囚われないのがあのちゃんだと思うが、

世界の平和の本気で願って、自分の無力さと闘って
救いたい思いが原動力であるところ
一つ一つのニュースを受け止めすぎて考えて、また無力さとこんな世界に怒りを覚えるところ

こんなに考えてる人もこころを当たり前のように表裏なく見せてくれる人はいない、だから魅力的で
もっと知りたくて

やっぱり救われているんだ

気持ちが届かなくても、支えられなくても
こころを動かせなくても
自分がここまで思えていること
この世界いま、同じ時を過ごしていられること
全体で表したら儚く一瞬のことかも知れないが
わたしにとってはいまは永遠のようで
全身全霊を注ぎ込みたいことなんだ

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