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世界が終わる夢を見た日に

世界が終わる夢を見た日に
滅びの前のシャングリラを読んだ




人生のボーナスポイントを貰ったような時間を
過ごす今、少し前と変わらずそれ以上の思いで
あのちゃんを追いかけている

その想いはTwitterを主に
noteに書いているようなわたし自身の感情を
あの子を通して吐き出してしまっている
思考性と感情の捌け口である

そのためここに書くことがわからなくなってしまっていた
その想いをここで綴るにはわたしがいなくなってしまうようで
自分のものであったはずなのに
あの子を介してそうなんだよと共感して
そうなんだと納得して
そこで広がっているようで小さくなっている気がした

わたしだけのものだったここもそうなっていくのが
少し怖くなった
わたしはわたしだけのもの貴方らしく
貴方は貴方だから、と生きて伝えてくれるあの子を見るとなにも頑張れていないような自分が惨めにも思えていつのまにか立っていられたはずなのに立てなくなってしまっている自分に気づいた
むしろ立とうとしなくなってしまったのかも知れない

気づいたこともある
人一倍ひとへの感情を持ってしまうから
傷つかないように行動した場面が多々あること
冷たくそっけない人間だと思っていたことも
本当に傷つけられないように避けていたのだ

そして愛してしまうとこんなにも言葉が出る
最大級の愛を持って死をもたらしてほしい
そんなことさえ思ってしまうこと

わたし自身の問題である
見たくないことを避けていた、諦めていたことを
あの子が生き様で示してくれているのだ

だからぼくに関わると不幸っぽいひと多いという言葉に当てはまることは決してない。
しあわせなのだ、しあわせな上で自分の問題に
向き合うことをさせてくれているのだ

間違いなく救われています、有難う。

あの子と違うことは間違いないけれどもっと切り離して感情とも向き合えるようになったら吐き出してる以外に、溢れる思いを綴りたいと思う


本の話に入るまで随分長い、
なぜこの話になったかと言うと偶然読んだ本が
今日の夢と少しリンクしていて、本の中の登場人物
Locoを見ていてあのちゃんを思い浮かべたからだ

全てが当てはまる訳ではないが、
アイドル時代があったこと、所々に感じさせる部分があった
"地球が終わる日にライブをする"
というぶっ飛んだ考えで本来の自分のままに
歌う姿を見てもしこの世界が終わる日が来たら
彼女だったらするかも知れない、その姿が少しだけ
想像できたからである

もし期限が決められていて
時間がそれしかないなら後悔のないように、と行動することがあるのなら時間が残されているようで減り続けてる今たった今から始めよう
そんなことは分かっている
もし人がいなかったらやっていたこと
誰もわたしのことを気にしていない

そんなこともわかっている
わかっているけれどうじうじしながらも
やっぱりできないダメな自分も自分で

もし期限があったら、と思い浮かべた一つ二つが
自分にとって大事だという気づきなのだろうか

わたしが思い浮かべたのは家族と音楽だった

あの子

世界がそんな状況に陥ったらあの子はSNSを更新してくれるのだろうか、期限がきれたら関係がなくなるSNS上のわたしたちを。

そんな時でも彼女に縋ってしまうわたし"たち"のために更新してくれるんじゃないか、そう思う
とても優しいこだから、

全てが架空の世界のことだが、
どうか自分の為にいてほしい自分の為に歌って欲しいそこにわたしたちがいることが前提ならば
どこへでもいく

Locoの選んだ場が大阪であり、題名につく
シャングリラで梅田シャングリラを思い浮かべた

日常の些細なカケラからあの子が思い浮かぶ
とっくにわたしから切り離せない存在になっていたのだ

計画のないまま書き始めた文章は壮大なラブレターのようなものになってしまった

推しとも恋とも違う新しい愛の形を知りました


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