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障害者は「えらい」

電動車椅子で、1人で買い物していた時
あるおばさまに「1人でえらいわね」と言われた

このような経験は、何度もある
特に年配の方から言われることが多い
おそらく、悪気は無いのだろう

なぜ障害者を前にすると、自然とその言葉が出てきてしまうのか?

1人でできて、えらい
=自立していない人が、1人で何かを成し遂げている時にかける言葉

例えば、子供のおつかいや留守番など
本来は保護者がいるべきところ、1人で頑張っている
そんな時「1人でえらいわね」と言う

子供に言ったら、喜ぶだろう
何故なら、大人になった気分になるから
思春期の子に言ったら、怒るだろう
何故なら、もう大人になっているつもりだから
大人に言ったら、嫌われるだろう
何故なら、見下されていると判断するから

では、障害者は?

障害によって異なるとは思うが
障害者である以前に、子供や大人であり
思うことは健常者と同じである

「えらい」と思う人は、きっとこう思っているのではないか
 障害者は、1人では何もできない
 障害者は、自立していない
 障害者は、認知機能も子供のまま

障害にも種類があり、1つのやり方は当てはまらないが、私の場合は、上記の内容は当てはまらない
 身体は不自由になり、出来ることは減った
 それでも、両親とは離れて暮らしている
 脳は健常者の頃から変わらない
 だから仕事も家でできる

私は家でフリーランスとして働き、犬と暮らす20代後半の女性という、ごく一般的な肩書きを持ち、幸せに暮らしている

だけど何故か、この女性がタイヤのある椅子に座った途端、まさか働いているとは想像しないし、まさか実家を出ているとは想像しない


特に年配の方が先述のように考える傾向にあるのは、時代背景もあるかもしれない

今は障害者雇用も増えつつあり、車椅子の同僚がいる人も増えてきたのではないか
年配の方からしたら、車椅子で稼ぐなんて想像も出来ないのだろう
その結果、先の発言につながっているのではないか


障害者も平等な社会というのは、実現が難しいだろう
人によって症状も異なり、マニュアル化できず、何を平等とするかの定義がつけづらい
しかし、障害者が嫌な思いをしない社会なら、作れるのではないか

人々が、
障害があっても、明るい人生を送っている人の存在を知り
障害があっても、他の分野で能力に長けている人の存在を知り
障害があっても、家庭を築いている人の存在を知ることで
私たちは、心ない言葉をかけられることが無くなるはず

そう信じて、私は今日も発信します

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