【長編小説】サクラクラゲの西洋館 第31話 リリーの小説1
僕のために
永鈴 リリー
リツ。いつも一緒にいてくれて、ありがとう――。
幼い頃、リツは引っ込み思案で本をよく読んでいた。そんな彼を外へ連れ出すのは、いつも僕だった。だけど、僕が転んでケガをすると、すぐに大人を呼んできてくれた。僕が泣いていると、頭をなでてくれたっけ。昔から僕は、リツのことを優しい兄のように思っていた。
「リオ、待ってよぉ」
1つ年上のリツが、僕を呼び止めた。麦わら帽子をかぶって虫取り網と虫籠を持った彼に、僕は言った。
「リツが大荷物なのがいけないんじゃないの?」
「そうかなぁ?」
僕たちが2人で山道を歩いていると、大きな水玉模様のワンピースを着た僕の双子の姉が、バスケットを抱えて追いかけて来る。
「ちょっと2人とも、もうすぐお昼だよ」
「リサ、1匹獲るまで待ってよ」
僕は双子の姉にお願いした。木漏れ日を受けたリサは、手で首元の汗をぬぐっている。
小さな山の頂上まで来た僕たち3人は、木陰の大きな岩に座ってバスケットを開けた。中にはサンドイッチとおにぎりがぎっしり詰まっている。
「うわぁ、美味しそう! いただきまぁす」
僕はレタスとハムのサンドイッチにかぶりついた。
「これ、重かったんじゃない?」
リツはリサを気づかっている。僕はというと、最初のパンを食べ終わり、玉子のサンドイッチに手を伸ばしていた。
山遊びの帰り、リツのクラスメイトの男子3人が僕たちの前から歩いてきた。
「よぉリツ。相変わらず女みたいな顔してんな」
僕は、そう言った年上の男子をにらみつけた。そのとき、リサが一歩前に出た。
「綺麗な顔がうらやましいんでしょ。素直じゃないわね」
そしてリサは、ぐんぐんとその男子に向かっていく。すると、別の男子が後ろからこう言った。
「家に父親がいないから、女みたいなんだよ」
そう言われたリツは、黙って下を向いていた。
僕とリサは、リツの尊厳を守るためにいつも必死になった。リツはしばしば、理不尽な目に遭っていた。リツは端正な顔でよく目立つ。それだけでなく、学校の成績も良かった。自然と人の目を引く少年は、人の妬みが集まりやすかった。リツはそれを黙って受け止め、自分の中に仕舞い込んでいた。
しかしあるとき、リツが変わるきっかけがあった。
僕の親はスーパーを経営していた。リツの母親もそこで働いていた。それで僕たちは、親たちの職場のスーパーに行くこともしばしばあった。
「リツ、今日は僕、お菓子3個まで買っていいってさ」
「僕は2個」
「じゃあ、1個は分けようよ」
「私も分けるわよ」
そこに、背広を着た口髭の男が、かごを持って店内を歩いていた。男は辺りを見回し、店員であるリツの母親を呼び止めた。
「失礼。クルミネうどんの乾麺は置いてありますかな?」
「クルミネうどんの乾麺ですか? 少々お待ちください」
そう言って彼女は店の裏へ行き、店長兼オーナーである僕の父を呼んできた。
「スミマセン。クルミネうどんは置いておりません」
父は、少しイントネーションの違った言葉遣いで、男に説明した。
「あぁ……。これだから外国人のやってる店は困るなぁ」
白人の父は、男の言葉に苦笑いを浮かべていた。僕とリサは今にも怒り出しそうだった。そのとき、リツが口を開いた。
「クルミネうどんのどこがお好きですか?」
男はリツの顔をのぞき込んだあと、姿勢を正してしばし考えた。
「そうだな……。小麦の味とコシかな」
「それなら、この店にあるシカマルうどんがおすすめですよ。小麦は厳選された国産の小麦を使っていて、価格もお買い得なんです。僕は食べたことがあるけど、茹で方によってコシの強さも変えられるんです。僕は柔らかいのも好きですね」
リツは商品のうどんについて、ぺらぺらと捲《まく》し立てた。男は口を開けてリツの話を聞いていた。
「こりゃ一本取られたな」
そう言って男は、シカマルうどんを買っていった。後日、この男はうどんが美味しかったと言って、父に謝っていたそうである。この一件があってから、リツは徐々に自分の意見を上手く主張できるようになった。
リツはこの頃から筋肉トレーニングをするようになった。小学校3年生である。ボクシングの本を参考にしていた。運動器具は買えないので、もっぱら自重を使ったトレーニングだった。いざというときのために鍛えておきたいと言っていた。リツにはみるみる力がついていき、引き締まった筋肉質の身体になっていった。
やがて、性格の変化と体の変化により、からかわれることはなくなっていったようだった。
中学に入ると、リツは僕達以外の友人とも遊ぶようになった。しかし、週末は僕達と一緒に過ごした。僕が中学1年生のときの5月ごろから、リツは土曜日には僕の家に来るが、日曜日は用事があると言って来なくなった。リツが誰か女の子と付き合っているんじゃないかと思い、本人に聞いてみると、思った通りだった。リツの彼女の名前はリエ。リツより1つ年下で、僕たちと同学年だった。リエはリツよりも背が高く、快活な美人だった。
ある日曜日、リツがリエを連れて家にやってきた。
「リオ……これ、リエ」
「これって何よ」
2人のやりとりに苦笑いしながら、僕は2人を家に上げた。リサがりんごジュースを4人分持ってきて、自分もそこに座った。
「リツの彼女なんて、大変なんじゃない?」
「うん……すごく、嫌がらせが来る……」
学校で元気よく過ごしているように見えるリエは、そう言って顔を曇らせた。僕もリサも、それまで彼女とは交流がなかった。
「嫌ね、もう……今度何かあったら、私に言ってよ」
「うん……ありがとう」
そう言うと、リエは泣き出した。リエは1人で耐えていたのだろう。それになんとなく気づいたリツは、僕たち、特にリサに彼女を紹介したかったのだと思った。
僕は中学2年生の秋、図書委員になった。1つ年下のリノという女子に会ったのは、図書委員がきっかけだった。僕はその年のクリスマスイブに彼女をデートに誘い、付き合うことになった。
リノは柔和で朗らかで、引っ込み思案な性格だった。まるで、幼い頃のリツのようだった。彼女といると、僕はいつも温かい気持ちになった。そして、リツもリエに対して、こんな気持ちになるのだろうと思った。
リツは一足先に高校へと進学した。僕を驚かせたことは、リツがバンド活動を始めたことだった。趣味でギターを弾いていることは聞いていたが、バンドではギターも弾けるメインボーカルだった。
「リオ、お前今、何センチ?」
「175」
「うお……」
「リツは」
「それ聞くかよ……160……159」
リツは、身長が低いことを気にしていた。僕は、音楽にそんなの関係ないと言った。するとリツは、仏頂面をした。
「身長が高いやつの言い分だな」
「まだ伸びるかもしれないよ」
「伸びてくれないと困る」
リツの懸念をよそに、リツのバンドのファンは続々《ぞくぞく》と増えていった。ライブハウスに来た何社かのスカウトから声をかけられるようになり、リツにも自信がついてきたようだった。リツはその頃もリエと交際していたが、バンドのファンに知られてはいなかった。