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1.娘のお風呂相談室

今日、湯船で娘のシャンプーが終わるのを待っている間に気がつかされた。エッセイを書いてみたい。わたしはエッセイなんか、文豪とか、文化人とか、ユーモアのある脚本家とかそういう有名人が書くものと勝手に決め込んでいた。でもいいじゃないか、その辺の誰かわからない人がエッセイ書いたって。

エッセイを書いてみたいと思ったのは、娘とのお風呂での会話がきっかけだった。まだ小学校低学年の娘は、身体を洗うのに時間がかかる。その原因には、マイペースでのんびりした性格もあるし、頑として伸ばしているロングヘアもある。とにかくもう、娘が身体を洗うときは、毎日うんざりしてくるほど時間がかかるのだ。

そこでわたしは娘と2人でお風呂に入るときには、自分の話を聞いてもらうことにしている。仕事がどうとか、趣味がどうとか。だいたいは迷ってることや行き詰まっていることを、つらつら話す。小学生にするような話ではないのだが、こちらも暇つぶしなのであっけらかんと話せるのである。

娘は、それで結構真面目に話を聞いてくれるから面白い。知らない用語はきちんと聞き返して、わたしのどうでもいい話について来てくれる。それどころか「どう違うの?」、「何のために?」などいい質問を入れて、議論を深めてくれる。そして、最後にはとても的を射た意見をくれるのだ。「じゃあ、要るやつから買えばいいじゃん!」、「じゃあ、パパに言えばいいじゃん!」といった具合に。このとき娘は、お風呂相談室の頼れる相談役である。

娘はそれはもう優秀でとか、歳の割にませていてとか、そんな話ではない。母の話の結論を出した娘は、次はわたしの番と言わんばかりに喋り出すのだが、「教頭先生は腕相撲が強い」とか「今日は給食当番でスープ係だった」とか、そんな小学生らしい話をする。それはもう興奮気味に一生懸命話す。よく聞いていると、主語が抜け落ちていたり、話の前提が伝わってこなかったりするのだが、娘はそんなことはおかまいなしに目を爛々とさせて話す。それを見ながらわたしは、な、なんだ、相談役もまだまだ小学生なんだな、と我に帰る。

娘がお風呂相談室で出してくれる結論は、わたしがまごまごモゴモゴ自分に言い訳して目を逸らしている結論なのだろう。だから小学生の公正なジャッジを受けると、「確かにその通り、すぐそうするべき。」な結論にまっすぐ光が当たるのだ。娘は実に正しい。

エッセイへの着手のこともそうだ。娘に「今、どんな仕事してるの?」と聞かれ、まごまごモゴモゴ答えている内に、やるべきことが炙り出されてしまった。自分のことになると本当に気がつけないのだが、人間、自分にする言い訳は上手い。あれがあるから、これがないからできないと、自分に言い訳してやるべきことから目を逸らしてしまう。お風呂相談室の頼れる相談役にはすべてお見通しだ。

さて、お風呂相談室は実に残念ながらいつでも開催されるものではない。いつもはわたしと娘と、娘の3つ下の息子も一緒にお風呂に入るからだ。こうなるともう収集がつかない。姉弟でなぜか同時にわたしに話しかけてくるので、わたしは相槌でそれをいなし続けるしかない。子ども達の話は、半分聞き取れて理解できればいい方だ。わたしの話す隙間などない。お風呂上がりにはわたしは毎度ちょっとやつれてしまう。

だから、お風呂相談室は貴重な場なのだ。わたしの迷いを解決するためと、娘の頼もしさを感じるために。

ライライ

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