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だるめの被害者空気にぶつけたいひろゆき構文

今日は神戸も、南からの台風の影響で雨が横に降っていました。

ここ最近の夏日からぐっと涼しくなったので

昼でもお構いなしに良く眠れましたわ(˘ω˘)

被害者ポジションで被害者構文使ってません?

最近どうも引っかかることがありまして…

どんな物事にも見事なまでに

するっと被害者ポジションに滑り込み、

「やらされて~」「また私だけ~」に始まる被害者構文を見事に使いこなす人。いるんですよねぇ。いるのよ、わりと。

まぁわざわざ突っ込みはしません。

そのあとの面倒くささが容易に想像できますし おすし

同調せず聞き流すに留めておきますが

いろんな物事をそのように捕えてしまうのは、

世界の見え方がしんどいだろうなぁとも思います。

だるい被害者空気出してる人に、あなたならどうする?

こういう場合、好きでやってることも往々にしてあるので

それこそよほど大切な親友とかでない限り

こちらの価値観こそ余計なお世話ですからね。

好きで文句言ってる。好きで文句言うことを探している。

その方が自分に都合のいい何かがあるから。

ただこちらがやることは、「私ばっかりいつも~」というだるい空気に絶対に染まらずに

自分は自分の見方で世界を見ること。と、私は思っています。

ほんと、「それってあなたの感想ですよね?」

なのですよ。お互いに。

被害者構文には心のひろゆき構文でお返しします。

(※ひろゆき構文は現実に口に出すと軋轢生まれがちなラインナップなので心の中で唱えるの推奨します)

でもやっぱり気を付けた方がいいと思うよ

それでも自分の心の中があんまり爽快じゃなかったり

しあわせ感じにくいなーとかいう自覚があるなら、

自分がどんな言葉を普段無意識に使ってるかは

意識する価値はあると思うよ。

「〇〇さんはすごい、それに比べて私は…」とか

文句じゃなくても外的要因と自分の価値比較をセットにしちゃって

目に入るものすべてを「だから私はダメなんだ」に結び付けちゃうのもしんどいよ。

なにかすごい、偉い物や人がいる。

その事実とあなたがどーだとかは別。別の話。混ぜないの。

私もそんな時期があったけれど、今思うとそういうのが

「認知のゆがみ」ってやつなのでしょう。

ただの事実に対して 自分に都合の悪い/良いフィルターかけてそれで世界を見ちゃう。

美しいことを探して元気でいれるなら素晴らしいけど

外的なことが自分を傷つけにくるのは止められないのだから

せめて自分を積極的に傷つけ続けるのはおやめなさいよ。

無意識に文句多くなってる人も

同じような文句たれが集まってきてそんなことばかり言ってる空間なんて体に毒だし

残念な言葉のチョイスしてることで周りに残念に思われるのも損だし。

もちろん、毒を抜くのに、信頼できる人に「ちょっと聞いてよー!!」ができるのは大事。

人と「わかるー!!」って言い合える共感はほんとうに心を救うから。

言っても言わなくてもいいような噂話、粗さがしに終始した時間過ごしてないかは気を付けたい。

だからって毎日修三とかティモンディ高岸みたいなこと大声で言われてもちょっと怖いけどね。

ティモンディもひろゆき同様心の中で強く唱えるのは自分にとっていいよね。

「やれば できる!!!!」

「それってあなたの感想ですよね?」

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